『犬も歩けば棒に当たる』 ~辺りを見回してみよう!面白いことがいっぱいあるぞ!~

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2007年 08月 09日

六道さん参り

 夏休みなって大学の図書館へ毎日通いだした。 ふとカレンダーを見れば今日9日は六道さん参りの日ではないか。 7時に大学を辞して松原通の六道珍皇寺(“ろくどうちんのうじ”と読む)へ向かう。 もう辺りは真っ暗であったけれど、迷いもせず足は私を寺まで連れて行った。 松原通にはいつものように夜店が出ているが、多少少なめなのはどうしたのであろうか?
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 門をくぐると参道の両側にもやはりお店が出ていて、善男善女の会話がにぎやかに飛び交っている。 閻魔堂の閻魔さんや小野の篁の木造が参詣者の一年間の行いを糺しながら私たちを見下ろしている横を足早に、はたして今年はどれくらいの人が並んでいるのであろうかと思いながら迎え鐘の最後尾を探すと、いるわいるわ!いつも以上の人々が東門からはみ出して狭い路地を延々北へ一丁余り並んでいるではないか! 
 まあ、それでも1時間ほどで順番が廻ってくるだろうとのんきに構えて行列の末尾に席を取った。 一歩また一歩ではあったが行列は確実に進み、その間、涼やかな風が路地を渡って本当に殊の外涼しく、「まるで極楽の扉が開いたようだ!」とよく母が言っていたのを懐かしく思い出す。
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 京都ではお盆にご先祖さんを「お精霊さん」(“おしょらいさん”と読む)と呼び慣わしており、京都人かどうかはこの言葉が会話に入っているかどうかでだいたい判断がつく。
 1時間もたたないうちに順番がやってきた。 ここの鐘は表からは見えず、お堂の中に隠れているために構造はよく分からないのであるが、ふつうの鐘と違い、手前に手綱を引くと鳴るようになっている。 したがって鐘を撞くと言いながら、実際は手前に綱を引くと鳴るのだ。 しかもそれが、結構力がいる! 赤い布が巻かれた綱を二度引いて無事鐘を鳴らすことができた。

 六道さん参りは京都では彼方此方で行われているけれど、この六道珍皇寺の鐘が夙に名を馳せているのにはそれなりの訳があるのだ。
 ここ鳥部野の辺りには昔からこの世とあの世を結ぶ道があり(六道の辻と言い習わされている)、小野の篁は昼は宮中へ出仕し、夜はあの世へと出向いて閻魔の庁にて業務を執り行ったと云われるスーパーマンで、この寺の中にある井戸を通っては日夜この世とあの世を行き来していたというのだ(子供達が横で聞いていると、きっとこう尋ねるにちがいない。「ネェそのおじちゃんは一体いつ寝るの?」って!)。 この井戸は今でもこの寺にあり、いずれはゆけるものの、一度先に這入らせていただいて、是非閻魔様に拝謁賜りたいものだと私は罰当たりにも常々想っている。
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 お堂を出ると、さんざめく夜店を左右に見遣りながら四条の方へと向かった。 途中で幽霊の飴屋(死したる母が、我が子を養うため、夜な夜なこの飴屋に飴を買いに通ったという)があり、飴を一袋買って帰る。 この飴は結構素っ気ない形をしているものの、なかなかのものでこれならば必ずや赤子も育ったであろうと想われる。

 昼間の疲れからであろうか、電車に乗ると、深い深い眠りに墜ちてしまい、あの世ならぬ大阪へと電車は私を運んでいったのである。

【PS】 くどいようではあるがこの幽霊の飴は美味しい。 癖のない、すっきりとした味わいが満艦飾の日常に慣れてしまった我々にとって、本当に不思議な味わいである。 口に入れていることさえ、つい忘れてしまうこの飴には、現代が忘れてしまいかけている味がしてならない。 げに、この飴ならば赤子も育つであろうが、もう少し小さくし、かつ、角を取ってやらないとい赤子には大きすぎるし、口の中に傷を付けてはならないから、と思うのだけど、それは年寄りの余計な詮索であろう。
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by usasho | 2007-08-09 23:02 | 日記