『犬も歩けば棒に当たる』 ~辺りを見回してみよう!面白いことがいっぱいあるぞ!~

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2006年 08月 01日

走る夕焼け

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 空が真っ赤に染まるといつも思い出すことがある。 名著『古寺巡礼』で土門拳氏が宇治の平等院を撮影に行かれた折、帰りがけに思いもかけない美しい夕焼けが鳳凰堂の屋根に懸かっていたのを発見され、慌てて撮影体制を組まれた時、準備に手間取る中で空を睨んでいると、まるで空が走っているようだったというようなことを述べられた。 夕日を見ていると先生が本当にそう思われたことをいつも追体験してしまう。 光と光景が激しく千変万化していっても空が走るのはやはり朝ではなく夕方であろう。 十三峠によく昼過ぎから登るのは、やはり帰りの空が茜に染まるのを見ながら下るのが大変楽しいからだ。
 今日は珍しく美しい夕焼けが現れた。 少し帰りが遅くなったために家路の途中で茜雲が陰りだし、住宅地の中ではなく空き地の草原のところで夕焼けを見たくなったため、少し急いでどうにかこうにかやっと原っぱにたどり着いた。 暗いためにフラッシュで不自然に光っているが、この原っぱにはいっぱいの猫じゃらしが夕べの涼風で気ままに揺すぶられており、本当に見ていると心を和ませるものがあった。
 それにしても土門先生にお会いでき、その魂に触れることができたことは決して忘れることのできない思い出である。 多くの書物には先生の恐い顔の写真が多いのだが、お会いできた折のあの満面の笑顔は生涯忘れることができないもので、一瞬にして大人物の魂に触れた時の心の鼓動を今でも思い出すことができる。
 まだの方はぜひ『古寺巡礼』の宇治平等院の写真をご覧ください!

【PS】 昨日は玉串川の近くでヒグラシが鳴いていた。 立ち止まって声に聞き惚れていると、何を勘違いしたのか川の鯉が口を開けてバシャバシャと近寄ってきたため、せっかくの涼しげな蝉の声と共に現実の世界に引き戻されてしまった。
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by usasho | 2006-08-01 23:46 | 自然
2006年 05月 14日

一日の終わりに

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 人は一日の終わりに何を思うのだろうか、と考えたことがある。 大阪市内に住んでいる時や学生の時、さらには社会人になってからもあまりこのようなことを考えたことがない。
 この八尾に引っ越してきて、この信貴山の麓から山に登るようになって以来、このようなことがふと頭をかすめることに気が付いた。 年の性と言うこともあるのだが!

 住所としてはうまく説明が出来ないのですが、好みの道をジグザグと十三峠付近へ登る少し人家が途切れるあたりにこの観世音菩薩はお立ちになっておられる。
 わたしはここから眺める夕日を殊の外気に入っている。 別に特別に目を見張るような秀麗な眺めではないのだが、稲を焼く煙や里の犬の声々、学校からの帰宅を促すチャイムの音等々の匂いと音が案配よく混ざり合ってなぜか心落ち着くものがあるのです。
 ただそこに立ち止まって、ほんの数分間のドラマを楽しみ、夜のとばりが降り始めた坂道を余韻を噛みしめながら家路を辿って、暗くなった道の奥に我が家の灯りを認めると、ホッとして少しだけ足早になり、玄関の扉をおもむろに開けるのです。

【PS】 あるとき、この場所で夕日を楽しんでいたら、孫を連れて散歩中のこの辺りに住む老人と話しをする機会を得た。 かれに、毎日ここから美しい夕日が眺められて良いですね、っと言うと、彼は我に返ったようにハッとなり、ここに七十何年も住んでいたが、ここからの夕日を見た記憶がない、言われてみれば本当に美しいものですな、と立ち止まり、一緒に六甲の山へ落ちてゆく真っ赤な太陽を楽しんだ。 その日は、殊の外夕日が美しく、三人はただただ言葉なく眺めていたが、お互いに篤く礼を言い合って左右に分かれた。
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by usasho | 2006-05-14 23:20 | 歩き回って