『犬も歩けば棒に当たる』 ~辺りを見回してみよう!面白いことがいっぱいあるぞ!~

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2006年 07月 27日

曰く、不可解!から始まる面白い世界

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 これは大阪のとある駅前に置かれている自転車と自転車放置を防止するための柵です。 今日はいつもより自転車が少な目なので、駅までの道はまだ通りやすかった。 学校が休みの分、学生が乗ってくる車が減っているからなのだろうか。
 ひどいときには辛うじて人の行き交いができる程度にしか道が残されていないときもあり、どう見ても狭いこの駅前の状況から、ここへは自転車を止めてはいけないことは、誰の目にも当然だと思える。 従って、駐輪を差し控えることや禁止の柵を置くこと自体、住民にまんざら無理難題をごり押ししているとは思えない。 なのに、この狭い駅前広場に自転車を置いて行く人は絶えず、かつ見ていると至極当然のように、実に涼しい顔をして堂々と置いて行くのだ。 親子連れの普通の家族までもが何の躊躇もなく普通にである。 彼等が所謂良識が無く、少しおかしな人間にはとても見えないのだけれど、何故か、このような真っ向から相矛盾する掲示と行為が一見何の矛盾もなく同時に肩を並べていられる空間が実在しており、じっと見ていると表現しようのない違和感がじわじわと迫ってくることにどうしようもなく焦りを覚えてしまう。
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 次の写真は川西市にある神社の柵に掲示されているプレートである。 神聖であるべき神社の空間に厳禁しなければ(あるいはしていても)何故か不浄物(ゴミ)が投げ入れられることがあるということを神社側が嘆いているのである。 (神社側が嘆くように、このプレートには何かがぶつけられてできた凹みが少なからずある!)
 この神社にはきっと正月やお祭りにはお参りに来てお願い事をする人が、総てではないにしても普段は塀越しにゴミ等を投げ入れることがあるということに対し、じっと見ていると表現しようのない違和感がここでもじわじわと迫ってくることにやはりどうしようもなく焦りを覚えてしまう。

 このようなことは今までは人文系の心理学の領域であったのだが、経済学や社会科学の領域でこれを扱うとどうなるのだろうか、とこのごろ密かに考えを巡らしつつ、いろいろと楽しい時間を過ごしている。 このブログの表題ではないが、歩き回っていると犬ならずとも面白いことにいろいろと遭遇する。 

【PS】 なかなか梅雨が明けない。 電車から見ていると夏になると夕方には奈良県側に入道雲が林立するのだが、今日はあんなに暑かったにもかかわらず、山の向こうには起ち上がる雲が一つもないのである。 もう少し、夏はお預けなのであろう。 心なしか、帰り道でアブラゼミが心細げに鳴いていた。
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by usasho | 2006-07-27 20:01 | 歩き回って
2006年 07月 21日

自然の掟

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 朝いつもの川沿いの道で脱皮している最中の蝉を見付けた。 7時前ではあったが、少し遅いではないかと近寄ってみると動く気配がない。 昨夜は大阪も連日の豪雨の続きで一晩中激しい雨が降っており、朝方あがったものの予断を許さぬ情勢であった。 ヒョッとするとこの蝉は不運にも昨夜の激しい雨に打たれて遂に力尽きたのではなかるまいか、と思った。 ただ、時間がなかったので後ろ髪を引かれる思いで朝はその場を離れた。 夕方となり急ぎ家路につき、どうだろうかと思い覗いてみると、やはり推察どうりらしい。
 生き物には常に死が待っている。 宮崎学氏の秀逸な作品を見れば理解できるように、死とはこの地上に生きるものにとって避けることのできないものであるだけではなく、この地上においては本当に必要な現象でもあるのだ。 彼の言う「環境の輪」の上に成り立っているこの地上の掟は生きとし生けるもの総てに平等に訪れる出会いだ。 夕方には蝉の亡骸にまず蟻が挨拶に訪れていた。 このようにして蝉は少しずつ土に帰されてゆくのである。
 地上の掟は生きるもの総てに平等にその愛を注ぐのだ。

【PS】 前から観察している木に留まって死んだままの蝉は今日も相変わらず留まり続けている。 死んでもなお留まり続けている蝉もいれば、土から出て直ぐに力尽きた蝉もいる。 改めて地上の掟というものを考えた。
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by usasho | 2006-07-21 19:57 | 自然