『犬も歩けば棒に当たる』 ~辺りを見回してみよう!面白いことがいっぱいあるぞ!~

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2007年 09月 19日

ワクワクするような時を追いかけて

 出かける前に好奇心さえポケットに入れ忘れなかったならば、ワクワクするような面白い出来事にいっぱい出会うことができる。
 好奇心に手を引っ張られ、背筋をピーンと伸ばして街や野山を歩こう。 いろんなものが周辺からいっぱい声を掛けてくる。 今まで見たことのないものから、見ていても気が付かなかったことまで、見渡せば面白いものや、何だろうと思うものがいっぱい周りから駆け寄ってくるのだ。
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 東大寺の大仏殿に女の子達がやって来た。 思い思いの服装をしてあっちを見たり、こっちに集まったりとキョロキョロうろうろしながら、本当に楽しくてたまらないようだ。 そんな楽しそうな彼女たちのさんざめきがフッと止まった瞬間、彼女たちは門に並んで一斉に写真を撮りだした。 みんなでピーンと背筋を伸ばし、デジカメを構えた彼女たちの後姿にはそれを見ている者まで浮き浮きさせてくれる何ものかがある。 きっと、今朝から面白いものがいっぱい見つかったのだろう、みんなの目がクリクリと輝き、言葉までが辺りを走り回っている。 この楽しい青春の一齣に幸よ多かれ!
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 今日はとってもよい天気で、少し動くと汗が噴き出してくる。 この門に立っているとまるで極楽から風が通って来ているようで本当に涼しく、少し長居して心地よい極楽の風を楽しんだ。
 この大仏殿の門前を守護する阿吽の像のうち吽形像は足下に天女を踏みつける兜跋毘沙門天である。 多くの仁王像はその足下に邪鬼の像を踏み敷くが、この像だけは清浄無垢な天女様を踏みつけているために、多くの人々はその意外性と、天女様への同情心が合体してこの毘沙門様の前にしゃがみこみ、その足下を覗き込むことになる。 さっきの子等がここでもしゃがみ込んで柵の中を覗き込み、毘沙門様のことはそっちのけで、もっぱら足下の気の毒な天女様だけが彼女達の話題をすっかり独り占めしてしまった。 後ろから拝見していると、「こりゃ!何をゴジャゴジャ言うておるのじゃ、主役はこのワシじゃゾ!ワシ!私の方を見んか!」とばかり眦をつり上げて下を睨み付ける毘沙門様が妙にいたわしく、かついじらしくも見えてくる。
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 帰りに南大門を通ると修学旅行の生徒がワアワアと門の真下に集まってきた。 案内のガイドが声を嗄らしてハンドマイクから身振り手振りで得意の歴史解説を一席ぶっているが、生徒の方はといえば、お構いなしにキョロキョロと近くを飛び回り、それぞれが既にもう面白いものを探し出していた。 何十年か前にこんなこともあったっけ、と思うと無性に懐かしく、一時を彼らとご一緒させていただいた。 Vサインを出す反った指がこの子達の今日の楽しさを十分に伝えてくれる。 楽しい思い出をいっぱい創ってお帰り!とつぶやきながら、ちょっと迷惑そうな顔をして振り返る鹿達の頭を撫で撫で興福寺の方へと向かった。
 歩いていると、野を渡る風に乗って、鹿達のいつものニオイがプンとした。

【PS】 奈良に行くと一度は鹿煎餅をやってみたくなる。 煎餅売りのおばさん(昔から煎餅売りはおばさんが多い)から煎餅を受け取ると、それまで知らん振りをしていた鹿が途端に津波のように押し寄せてくる。 頭突きはする、舐め回す、足で脅す、体当たりするなど、あらゆる手段を尽くして彼等は煎餅を強奪しにやってくるのだ。
 ある人が言うには、鹿はきっと所有権というものを理解しているというのだ。 おばさんの煎餅入れに煎餅が入っている間は絶対に手出しが出来ないが、観光客がお金を払って煎餅を受け取るとおばさんから煎餅の所有権が移動して鹿が取っても良いものに変わるということを彼等はきっと理解しているにちがいない、というのだ。 だから、客が煎餅を買うまでは知らん振りをしていても、金を払った瞬間に、否、財布を持ち上げた瞬間に彼等は一斉に反応するのだそうだ。
 鹿は一体どこで経済学や法学を習ったのか知らないが、正鵠を得てはいないものの、その解釈の面白さに聞いていて思わず笑ってしまった。
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by usasho | 2007-09-19 23:50 | 大切なもの
2007年 08月 21日

大きな土団子と狛虎

 これは何だろうか?という疑問はどうやらほぼ一斉に起こるらしいゾ!

 先日法事で京都を訪れ、その後、久しぶりに京の町を散策した。 東山法然院へ立ち寄った時、大きな石の塔の陰になにやら我が目を疑うような妙なものがのぞいており、一瞬頭の中が白くなった。
 こりゃ、一体何だろうか??? 12個の夏蜜柑のような大きさのまあるい球が串刺しのようにされて古びた木の台に突き刺さっており、どうやらその下の地面へと固定されているようだ。
 熱心に探してみたものの、全く何の説明も見当たらず、辺がスッキリと掃き清められている分だけ余計にかえってより一層怪しさが増してきた。 辺りをうろうろしながら待ってはみたものの、坊さんらしき人や、お寺の関係者はおろか猫の子一匹さえも出てくる気配がなく、仕方がないので、その前に立って素直な目で見ていると、どう見ても普通の芸術作品にしか見えないのだけれど、いやいや、ここはお寺なのだから、なにやら“秘密の一ひねり”がきっと有るにちがいなかろう!?などとひねくれたことを考え続けたけれど、結局誰一人関係者を見付けることが出来なかったものだから、渋々、取り敢えず写真だけを撮って、お寺を退散することにした。
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 それから一週間後、我々の寺(大阪天王寺区寺町)では施餓鬼の法要が行われ、その帰りに一人愛染さん(同夕陽丘町)の塔を見に出かけ、そのあと、日本橋へ行くために近くの大江神社を久しぶりに通りかかると、ここにはなんと狛犬ならぬ狛虎があるゾ!との表示を見付けた。 好奇心がムクムクと湧き、寄り道してみれば、こりゃまた何だ!っと、思わず目を見張るものがご鎮座遊ばしていたのであった。
 見れば、かなり年代物の(まさしく)虎が、なにやらもの言いたげに口を開き、チラリとこちらを見ている。 形から言っても確かに“狛虎”の片一方に間違いなかろう。 さらによく見ると、どうやら違鷹羽の紋所が土台側面に半分残っていることから、武家がこれを造らせたのではないかとも思われるが、しかし、何故犬ではなく虎なのであろうか、何故右側だけで、左側が無かったのかという疑問が残った。
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 しかし、これもまた、よく分からぬままに先が急がれたので、取り敢えず写真だけは撮っておいて、日本橋へと急いだ。
 たまたまその夜更けてネットで調べ物をするほんのちょっとしたついでに(?)いろいろと寄り道をしていると、なんと、これら二つの“何だろうか?”が共に既に取り上げられていて、論評を受けているではないか!
 いつまでこれらのサイトがあるか不明であるが、ともかくはリンクを張ってみよう!
1)法然院 緑陰に数珠か団子か土供養(2007年06月22日朝日新聞ネット版:連載ピンホールの目)
2)大江神社の狛虎(大阪市)(2007年07月05日朝日新聞ネット版:連載勝手に関西世界遺産)

 朝日新聞のこの二つの記事で私の拙い疑問は見事氷解したのである。
 まず、法然院の団子の方は、「陶芸家の中野亘さんが土の供養のために制作、貫主がここに配置した」ということから、どうやら12個の球とは「南無阿弥陀仏」を二度唱えたという意味を数珠に託してこのイメージが創造されたのであろう。

 また、大江神社の狛虎は江戸期にここにあった毘沙門天のお堂があり、それを守護をするためにこの虎が犬に代わってここに鎮座することになったのだというのだった。 その後、お堂が取り壊されてしまい、狛虎だけになり、さらに不幸なことには相棒の吽形が何処かへ連れ去られ、独りぼっちになり所在なくここに座り続け、阪神タイガースが躍進するまでただひたすら耐えて待たねばならなかったのである。(待った甲斐あって、阪神の躍進と共に、相方は最近新しく復元されたけれど、お堂は復元されず、未だにただひたすら主のお帰りを待つ日々が続いているのである!) しかし、よく見ると、愛嬌たっぷりの、実にかわゆい虎ではないか!
 (注:神仏分離令が明治になって猛威をふるったことがこの虎の不幸の始まりで、肝心なことは虎が毘沙門天の使いだったことが狛虎になった所以だというのが、今回のミソであった。)

 私としては、上記の理由にいたく納得はしたものの、これは何だろうか?という疑問はどうやらほぼ一斉に起こるものらしいということが、なにやら不思議でならなかった!

 本当に、辺りを見回してみれば、いろいろと面白いことがいっぱいあるものだ!
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by usasho | 2007-08-21 00:17 | 歩き回って