『犬も歩けば棒に当たる』 ~辺りを見回してみよう!面白いことがいっぱいあるぞ!~

toubouroku.exblog.jp
ブログトップ
2006年 04月 29日

ちりぬべき 時知りてこそ

f0068075_071659.jpg

 ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
とは細川忠興室のガラシャ夫人が関ヶ原の戦いで石田軍に屋敷が包囲され人質になるのを嫌い、家来の手により死ぬ道を選びその折りに詠んだ辞世の句だそうである。 細川家の屋敷跡である今の越中町の元の台所にあったと伝えられている井戸(史跡、越中の井)のそばにこの碑は佇む。 徳富蘇峰の筆になる碑の文面と、この反対側にある新村出の解説がある。
 素直に詠めば、武家の女房の鏡であり、あっぱれな散り際の鮮やかさを際だたせるような一首ではあるが、これが明治を起点とした近代日本の中で再び脚光を当てられたということに正直重いものを感じてしまう。
 近代国家以前の段階のみをみたならば、これはごく普通の武家の行為であったと思われるし、武家であれば当然このような行為に及ぶことは自然な選択でもあり、感想でもあったはずである。
 明治以降にこのような概念を再出してくるところに明治期の日本の特質の深部を覗くことができるのではないか。

【PS】 甚だしく不純な感想かも知れないが、敵軍に包囲され、燃え盛る屋敷の中からこの辞世の句がどのようにして外部に持ち出され後生に伝わったのだろうかといつも思ってしまう。 身を挺してこの句を持ち出した忠義な家来衆が常にこの持ち出しに成功するのだろうかと、いつもこの点に思いが至る。 むかしから、壮絶な死をもって後世に伝わる辞世の句に接する時、このような妄想に駆られてしまうのは己の不純な心の表れなのだろうか。 歴史の現場に佇むとふとそんなことを考えてしまいます。

【PS2】 昨夜、寝る時にふと思った。 ガラシャ夫人(お玉さん)はその死の直前に父明智光秀のことが心をよぎったのではあるまいか、それとも母とともに暮らした良き日ことが思い出されたのであろうか。 はたまた、夫細川忠興のことが気に掛かったのであろうかと…。

【PS3】 しかし、日本に巣くう多くの指導者の諸君にこの句を煎じて飲ませてやりたいですね。 小泉総理は散り時を自覚されたようですが、多くの魑魅魍魎よろしく薄暗い部屋の中でうごめいておいでの方々にはこれを飲んで悟って欲しいものですが…。
 
[PR]

# by usasho | 2006-04-29 20:05 | 歴史の証人
2006年 04月 25日

神様のお家

f0068075_1113639.jpg

 アニメ『千と千尋の神隠し』の冒頭でチラッと現れて千尋が母親に「あれはなあに」と聞くと、母は「神様のお家よ」と答える場面がある。 ここ、岡山県の倉敷市、どちらかといえば旧の吉備郡庄村下庄にはこのような“神様のお家”が今でも祀られている。 この辺りは多くは真言宗の高野山派の信徒が多い地域である。 多くの祠は総て丁寧に祀られて連綿と今に息づいているのだ。
 この写真の祠のいわれは、できものの神様のお住いだそうで、人家と離れた川の畔の道ばたの立木の下に祀られている。位置は木の南側。(以前は北側に、道に面して北向きに置かれていた。従って、今は木を挟んで道の反対側、南向きにある。)
f0068075_1122056.jpg

 この祠は水の神を祀ったもので、同派寺院の入り口の井戸の辺に祀られている。位置は北向き。
f0068075_1123550.jpg

 この祠は、近くの民家の庭にある屋敷神の祠で三つの祠が東向きに二軒、南向けに一軒がその庭の中に祀られている。

 これらの祠は、ある一定の精神的世界を地域全体で共有することで、それぞれの祠の社会的地位が形成され、地域の一定の社会的行為に一定の意味が付与される。 そのために、これらの祠の製作が一定の社会的需要を持つと共に、この精神的世界の共有によって特徴づけられた生きた社会的規範は地域の構成員によって生きた社会的行為として、その歴史的世界において現象することになる。

【PS】 今日聞いた話だが、鯉が川が溢れてきて田んぼの中に流れ込んでしまうことがあったが、鯉は元の川に帰るためには畦の上に飛び上がり元の川の方に向かって飛び跳ねなければならないということを理解しているのだそうだ。 命がけのこの行為は時として不幸な結末も用意されているようだが、おおむね鯉は元の川へと辿り着くという。 鯉に限らず動物の知恵だといって、彼等を決してあなどってはならないと教えられた。 
[PR]

# by usasho | 2006-04-25 22:10 | 歴史の証人
2006年 04月 23日

母なる木の下で

f0068075_10495249.jpg

 雨上がりの八幡社で蛙が虚ろな目をして考え事をしていた。 春先から多忙であったため、今年初めての邂逅である。 八尾に越してきた当初は結構辺りにも自然が溢れ、動植物の観察には事欠かなかったのに、久し振りに散歩してみると、ここにも家が、彼処にも建物がと、記憶の中にあった多くの自然が既に過去の世界へと旅立ってしまっていた。
 この境内には多くの楠木等がかつての傍示木として残されており、彼等を中心とした命の体系は実に多くの命を支え育んできた。 少しあたりを歩いてみれば実に多くの命が息づいている。 文字通り、母の木として彼等が守り育ててきた命が永久に栄えることができますようにと祈らざるを得ないし、我々も彼等を慈しみ、共に生きてゆける工夫をする必要があろう。
f0068075_10572532.jpg
 一本の古い傍示木の切り株の中にキセル貝が食事中である。 この貝を初めて発見したのは小学生の時であり、大変な驚きを以て手に取ったことが今でも昨日のように思い出せる。 何故か隣りに雀の真っ白く曝された骨が転がっており、あまりにも綺麗だったので一緒に家に持って帰り、机の上に置いていたら母に叱られたことがやはり懐かしく思い出された。


【PS】 今朝起きてみると庭で内が昨日の昆虫をつついている! どうしたのだ!と聞くと、ニッコリと振り返って言うには、この虫は花に取り殺されているよ!だって。 走って(走るほども広くはないのに!)見に行くと、花弁が虫を押さえつけて動けなくなり、虫は中ですでに絶命していたのだ。 ああ、美しい花はやはり恐ろしいものだと言うことがよく分かった。
[PR]

# by usasho | 2006-04-23 10:48 | 自然
2006年 04月 22日

頭隠して尻隠さず

f0068075_2259523.jpg

 亡くなった母は何故か蘭の花が好きであった。 いくつかが庭に残っているが息子の手入れがいたって悪いために文字通り八重葎になっている。
 ふと見ていると、花弁が少し変わっているのがあるのに気が付いた。 先日転倒したせいで眼鏡を損傷し、額がいまだに痛むために眼鏡が掛けられないため、近づいて確かめてみると、昆虫が中に潜り込んでいるためにそう見えたのであることが分かった。
 なにやら蠅のようにも見えるので、摘み出そうとしたら、内がそんな無粋なことはおよしなさいな、っていうものだから、それもそうだ、と考え直してしばらく観察していたけれど、いっこうに物事が捗らない。 おしりをコチョコチョしてみようかなと考えたがやはり大人げないので考えただけでやはり眺めていたが微動だにしない。
 猫の額のような庭をぐるりと見て歩いたが、やはり動いた様子がない。 ヒョッとしてもう死んでいるのではないのか?っと草むしりをしている内に聞いてみるが、もはや笑って取り合ってくれない。 やはり、コチョコチョしてみるべきか?と考えたが、グッとこらえて書斎に引き返した。
 それから、内のお供で百貨店に明日の法事の引き出物を賄いに出かけ、内と分かれて一人で日本橋のPCパーツ屋を久し振りに見に出かけ昼飯も忘れて夕方帰宅したが、すっかり昆虫のことを忘れてしまっていた。
 10時を過ぎて、ふと思い出したため、懐中電灯をもって庭に出ると、まだ潜っているではないか! 内に、やはり死んでるんだ!って言ってみたが、内は鼻先で笑って一人で家の中に入ってしまった。 もう一度、コチョコチョやるべきではなかったのか、との思いが頭をよぎったが、名誉のために堪えてまた一人で書斎に戻り、PCの電源をポンと指で突いた。

【PS】 このごろは日本橋にも秋葉原のようにメイド喫茶の呼び込み嬢が立っている。 寒そうな袖無しのコスプレのフリフリを着て、何人かの呼び込み嬢が笑顔を振りまいてビラを配っている。 なかには一緒に並んで写真を撮っていく若者が何組もいる。 しばらく見ていたが3人ほどいた呼び込み嬢はとうとう寄ってきてはくれなかった。 別にビラをもらっても行く気はなかったんだけれどね…。
[PR]

# by usasho | 2006-04-22 22:58 | 自然
2006年 03月 27日

桜咲く

f0068075_2235113.jpg

 やっと桜が咲きました。 玉串川ほとりの桜の根本から春はついに芽を吹いたのです。 幾本かの桜の根元から芽を吹き始めた中で、この一株のみが花を一昨日から開けたのです。 もう、二三日で一年間待ち続けた花の世界が降臨します。

【PS】 有名な「サクラチル」って電報もらった方は桜の季節が巡ってくると憂鬱になるでしょうね。 「サイキヲコウ」ってので肩を落とされた方もあったでしょう。 目出度く桜が咲いた方も、捲土重来を期せた方も、その春はキット忘れ得ぬものがありましたでしょう。
 でも、いまでもその感激を大切にしておいでですか。 春は、さまざまな喜びや、悔しさを思い起こすために再び花を咲かせてくれるのです。 そう、胸の奥深く刻んだ、あの震えるような思いをもう一度引っ張り出してみませんか?
[PR]

# by usasho | 2006-03-27 22:34 | 歩き回って
2006年 02月 26日

時の彼方から太鼓とお囃子の音が聞こえる

f0068075_1543973.jpg

 昨日、奈良県橿原市の八木を訪れた帰りに耳成山に登った。 帰りに中腹にある山口神社を訪れた。 絵馬がたくさん懸かっていた中に、正面にあったこの絵馬が気になった。 時代を経ているようで、顔料が褪せて画像が極めて不鮮明になっている。 この場合斜めからフラッシュを焚いてやると顔料と板の部分にうまく光が回っていくらか絵が浮き出てくる場合があるのだ。 家で画像処理をしてみると、いくらかはやはり絵が浮き出てきた。 社殿の前で多くの人が太鼓をたたいたりして踊っている。 その周りを旅装束とおぼしき何人かのひとびとが取り囲んで楽しんでいる。 中には子供連れの旅人が居る(絵をクリックすると、さらにいくらかは拡大します)。 この辺りは東に道を取ると伊勢に通じる。
 気になるのが制作年代である。 右上の方に年号が入っているのだが○○元年であることと、その年が酉年であることが分かる。 上記の条件に合致する年代を調べてみると十九世紀まででゆけば、享和元年(1801年)と文久元年(1861年)が該当する。 ちなみに、文久元年は皇女和宮事件の年であり、その前年は安政の大獄の頂点としての桜田門外の変が起きた。 享和元年はとくに大事件はないが幕藩体制の軋みが少しずつ目立ち始め、農村問題が表面に露呈し始め、外国船の出没が激しくなりだした。 次の年に『東海道中膝栗毛』が出版されてもいる。
 いずれにしても、専門の領域ではないので解説は慎まねばならないが、本当に気になる絵馬である。 これだけではなく、道ばたに佇む石造物や地域のさまざまな遺産からは、この僅かな小口群からの小道が当時の農村復元(質と量と差異、これらに基づく諸構造)への豊かな道へと辿ることができるのではないだろうか。 そんな想いで、この絵馬を眺めていた。

【PS】 このように随所に見うけられ、かつそのほとんどが長年の風雪に耐えた絵馬は極めて表面が不鮮明になっている場合が多い。 しかし、その中に秘められた情報は極めて貴重なものであるが、物が大きく、かつ、同様な物が全国至る所に存在し、絵そのものの芸術性はあまり目を引く物ではないために、保管と情報の結集には極めて難しいものがある。 しかし、全国を一括してその存在を見る時、含まれる情報の質の貴重さと、各地域相互の情報の連続性には驚かざるを得ず、何らかの対策を立てる必要があるのだが。 (それは、このような地域の歴史遺産を造った人間の行動の根底にある共通項こそを問うことができるからなのだと言えよう。)
[PR]

# by usasho | 2006-02-26 15:03 | 歴史の証人
2006年 02月 22日

木の風格

f0068075_2221284.jpg

 むかし、ご縁があって土門 拳氏にお会いできた。 リハビリで顔色はすぐれてはおられるが、すでに会話がご不自由である旨のご注意を車椅子を押してこられたお弟子さんからお聞きしていただけでなく、夢のような機会に上気した性もあって、緊張のあまり何をしゃべったのか皆目覚えていない。 先生はお会いしている間中、終始にこにこしておいでであった。 いろいろの風説や彼の書物で、結構頑固な先生を念頭に置いていたのに、思いもかけなかった応対に、ある意味面食らってとまどった。 その日は黒の紋付き羽織を召されていたこともあってか、その近寄り難いまでの風貌に打たれ、ことのほか上がってしまったが、ただ、うんうんとうなずかれながら話をお聞きいただいている間中、私を見つめておられた先生の目に言葉には表しがたい程の静まりと優しさをひしひしと感じた。
 じつは、この眼差しは以前にも経験がある。 恩師の山田盛太郎先生である。 土門先生にお会いしている間中、その後ろに山田先生を感じていた。 お二人に共通することは、己を尽くした人間のみが醸し出すことのできる深い“人のあじ”であろう。 まこと、風格とは、あるべきその人にそっと備わるものなのだとしみじみと感じた。

【PS】 本文と写真が違わないかって? いえいえ、辿り着く先が同じなのですョ。 この木は十三峠に至る道筋に立つ木です。 この木に出会って、物言わぬ木といえどもその優れたるものには自ずと備わる辺りをはらうものがあることを知りました。 春夏秋冬いつ出会っても、本当に心打たれる木です。 山に神が宿り、魂を洗うというのであれば、間違いなくこの木であろう。(一番輝く秋の写真をここでは掲げました)
[PR]

# by usasho | 2006-02-22 22:00 | 自然
2006年 02月 15日

歴史を担った貨幣

f0068075_23983.jpg

 左の貨幣は旧東ドイツの10プェニッヒ、右の貨幣は日本の敗戦時にアメリカ軍が進駐地神戸の駐留地内の軍事用の10セントです。
 東ドイツのものは甥が旅行に行ったお土産としてもたらされ、米軍キャンプのものは亡父から譲られたものである。
 共にその流通した母国であるドイツと日本は、さきの敗戦からのさまざまな怒濤の如き重き歴史を持ち、その一齣を彩った彼等を見ていると、彼等の時代とその前史とが合わさってさまざまな出来事を思い起こさせてくれた。 ちなみに東ドイツの貨幣はアルミでできており、米軍のものは真鍮地にメッキを施したものである。 社会主義を標榜した東ドイツらしいデザインと、素っ気ない米軍のコインからなにかを引き出そうなぞと大見得を切るつもりはさらさらない。 ただ、彼等が歴史の舞台から姿を消してそれぞれ15年と60年近くが過ぎた。 廃墟の跡にも時と共に草は生えてくる。 時代の流れは近視眼的な人間の考えを質してくれるものだ。 曇り無き眼こそが真実の扉を開くのである。 語るべきは真実の全貌でなくてはならない。 踊っているつもりであっても、決して踊らされることのないようにしたい。

【PS】 むかし、東京でソビエト連邦の国章の鎌と槌を“鎌トンカチ”という軽妙な表現で皮肉を内に潜り込ませた奴がいたし、社会主義経済学や、マルクス主義も“黄昏学派”なぞと悪口を言う輩にも出会い、軽薄な、と腹も立ったが、反面、ある側面を照らした実にうまいことを云うなと感心もしたことをもついでに思い出した。  
[PR]

# by usasho | 2006-02-15 23:08 | 歴史の証人
2006年 02月 13日

冬の蝉

f0068075_0155045.jpg

 昨年11月、ふとしたことで蝉を見つけた。 11月といえば当然蝉は死んでいましたが、彼(蝉は雄でした)はしっかりと木に留まっていたのです。 それから更に3ヶ月過ぎましたが、蝉は相変わらず同じ位置に留まり続けています。 台風を始め、多くの嵐がこの半年余りの間に訪れましたが、ものともせず蝉は留まり続けたのです。 ビルの真横なので、結構おろしがきついのにもかかわらずです。 本当に脱帽です。

【PS】 ところで、この蝉の体の中はどうなっているのでしょうか? 筋肉細胞もどうなっているのだろうか? 見てみたいですね! でも、もう少し放っておきましょう。 いつまで留まってられるのか、楽しみです。 ひとつ疑問があります。 彼はミイラと呼べるのでしょうか、どうなのでしょう?
[PR]

# by usasho | 2006-02-13 20:25 | 自然
2005年 11月 25日

冬の蝉

 感動は予告無しに、いきなりやってきます!
f0068075_23504678.jpg
 うまく撮れていませんが、まず、この写真を見てください。
 そう、蝉なんです。
 このクマゼミをよく見てください。 羽根は結構ぼろぼろになり、それなりにくすんでいますよね。 でも、どことなくおかしいでしょ。
 そうなんです。 この蝉はすでに死んでから三ヶ月以上経っているのです。 しかも、彼(雄です!)がこの位置に辿りついて以来、今日までそこでしっかりと木を抱きしめて、今も同じ位置に留まり続けているのです。 人間並に解釈すると、実に見上げた根性でしょ!  もう十一月も終わろうとしているこの時期に、木に留まり続けている蝉を見ると思わず感動してしまいました。

 彼は恐らく総ての足の爪を木の表皮に食い込ませているのでしょう。 そのために、死期が彼に訪れたとしても、彼の体は錨を打ち込んだ船のようにその位置を変えないで今まで時が流れました。 今年もいくつか台風が訪れ、大雨も降り、植木屋さんが来て剪定してゆきましたが、彼のポジションを揺るがすようなことは何も起こらなかったのです。

 いつも登る十三峠の道でもこのような蝉(その時はアブラゼミ)を見たことがあります。 そのときは思わず信じられなくて目をこすってしまいました。 それは、三メートル近く離れた位置での発見だったためにうまく写真に収めることができませんでしたが、今回、目線の位置で発見できて本当にワクワクしてしましました。 おまけに、場所が大阪市内だったので、なお驚きました。
 このような現象にはいろいろと面白そうな科学の種が潜んでいるのでしょうね。 奥深いワクワクしてしまような興味深いサイトがあれば、ぜひお教えください。

 それにしても、枝の裏側に留まっているにもかかわらずよく落ちないものだと感心します。 死んでもなお留まり続けられるってことは、いろいろな偶然がそこに重なったとはいえ、本当に今日は良いものに出会えました。 クマゼミではなく“弁慶ゼミ”ですね!

 ところで、家に帰ってこのことを子供達に話すと、八尾市内でも結構木に死んだままの蝉が留まっているのをよく見るよ、とのこと。
 「馬鹿にしたらあかん! 大阪の蝉は皆根性があるんや!」 と、いうことで大笑いになりました。

【PS】 著者からのおことわり
この記事はcocolog掲載中のブログ「風に吹かれて」に同じ日時にて掲載致しましたが、小生のブログサイトの整理発展の過程の一つとして、このexblogに移転して参りました。不悪。
[PR]

# by usasho | 2005-11-25 23:48 | 自然