『犬も歩けば棒に当たる』 ~辺りを見回してみよう!面白いことがいっぱいあるぞ!~

toubouroku.exblog.jp
ブログトップ
2006年 09月 20日

山からの便り

f0068075_22134284.jpg

 十三峠越えの道を登って行くと頂上付近に倒木が何年も前から道を塞いでいる。 我々はここを潜って登らないと峠へは出られないのだ。 この木は台風で倒れたままになっており、以来横倒しになったままこの山にもたれて年月を過ごしてきたのだ。 行政も人や集落に被害が無ければあるがままの姿を容認している。 ここを越えて登って行く人はこの山の自然の息吹を感じつつこの木を潜って行くのである。 
f0068075_22143238.jpg

 山は不思議なことだらけで、より不思議さが増えこそすれ、登るたびに飽きるということを感じたことは一度もない。 もう何度登ったか知れず、また、何度もそこを見ているのに気が付かなかったことがいっぱいある。 この板根(ばんこん)もその一つである。 熱帯では根を深く下ろすことができないため、根が幹を支えるために板状の板根を形成して木を支えるのだそうだ。 ここは熱帯ではないが、この板根はもしかすると、この木の下の土壌が非常に薄く、深くないところに岩が迫っているのかも知れない。
f0068075_22145464.jpg

 頂上付近にまで行くとこのような岩石の路頭が見られる。 しかし、良く見ると、無数の縦に走るひび割れがどれにも走っていることに気付く。 この岩は巨大な地下のエネルギーが暴走することによってこのような縦のひび割れが一律に生じたのである。 一見穏やかなこの生駒山地も、このような徴を探して行くと過去に極めて大きな地殻変動の上に大阪側からみて奈良側が持ち上がったこと、その時に岩石が巨大な運動エネルギーを受け、破砕されたのだと言うことを眺めていると、自然の表現しようのないくらいの大きな姿に立ち止まってしまうのだ。

【PS】 帰り道いつもコノハズクが止まっていると足取りが軽くなる。 今日は拙宅の娘の上を羽を広げて飛んで見せたと興奮していた。 彼等狩人の勇姿を一度見ると人は思わず興奮してしまうものだ。
 そうそう、山ではもう彼岸花が咲いていました。 秋、早いんですねェ!
[PR]

# by usasho | 2006-09-20 22:13 | 自然
2006年 09月 19日

山に登ると

f0068075_224407.jpg

 今日は三題噺といきましょうか。
 犬も歩けば棒に当たると申しますが、人も山に登るといろんなものに出会います。 この頃では山賊にお目にかかるというようなことはマア無くなったと思うのですが(アウトドアをやっていて一番恐いのは人間です。 ? これホント!)、多くの地方で熊との出会いが様々な話題を呼んでいます。 小生の住む大阪、八尾あたりではさすが熊はもういなくなってしまってから久しいのですが(しかし近頃では町中で始末の悪い虎共が車を運転しては大暴れし、物議を醸しているようですが)、野生の狸さんはそれなりに結構頑張ってくれているし、イノブタもまだ藪に隠れ住んでいるようです。 夕方、人気の無くなった薄暗い山道を歩いていると、周りの藪に何かがいると感じることがあります。 気配だけではなく、カサコソと足音がするので何かがこちらを見ているのでしょう。 コッソリと見られていると妙に照れ臭くなるのですが、恥ずかしがり屋さん達は一向に姿を見せてくれません(たまに猫だったりしますが)。 でも土手の上のうす暗い藪の中から何かに見られているのは別の意味で安堵します。 彼等は決して私を襲ったりはしないのですが、何かしら興味があるのでしょうね。 そんなときは「きょうも有り難うね!」といって手を振ってやります。 そうすると彼等もそれ以上付いて来なくなるのです。
 写真とどういう関係があるのって? 別になにも関係はないのですョ。 夕べが迫りつつある木の穴で、夜の出番を今か今かと待っているウスバカミキリです。 動物の写真がなかったのでチョイ代役をお願いしましたのです、ハィ。
f0068075_2254593.jpg

 このように書いていると、山の中はまるでおとぎ話の世界のように感じてしまいますが、ドッコイ、本当は生きてゆくことに掛け値無しでガップリ四つに取り組んだ真面目この上ない世界のみが拡がる、命の坩堝のみがめらめらと音を立てて煮えたぎっている世界なのです。
 写真ではヨツボシモンシデムシが自らの命のを繋ぐために幼虫のための寝床となる少々干涸らびた蛙を蠅と取りあいっこしています。 小さな体でビックリするような大きな荷物を二匹で持ち上げては気に入ったところまでグイグイと持ち去ろうと奮闘しているのです。 宮崎学氏がいわれるように、生きるものに等しく訪れる死は別の生き物の命を支え、大きな命の営みの輪を回すことで一段と大きな命が支えられていることを知ることが大事なのです。
f0068075_225572.jpg

 ところで、山を彷徨っていると、こんなものにも出会います。 何でしょうか、何の幼虫なのでしょう。 気前の良い樹液を出すので目を付けていた木の根本にある小さな樹液が出る穴を覗いていると、シズシズとこの幼虫が足早に通りすぎていったのです。 エッっと思って写真を撮るのに精一杯で、捕まえる前に別の穴に潜ってしまい、手がかりはこの写真のみとなりました。 本当に、山っていつ行ってもやはり面白いことにいっぱい出会えるのですね!

【PS】 最後の幼虫の写真、凄い色と形でしょう! でも、思わず感動してしまいました。 音もなくシズシズと歩む6~7センチ位の大きさの堂々たるこの幼虫は、一体どんな成虫になるのだろうか???  御存知の方はどなたかお教え下さいマセ。
[PR]

# by usasho | 2006-09-19 22:03 | 自然
2006年 09月 18日

山に登れば

f0068075_22253327.jpg

 今日は少し綺麗に決めてみよう!
 十三峠越えの道を登り、靖子ちゃん公園【注:拙宅の長女が生まれた時にはまだ十分な整備ができていなかった水呑園地に拙宅では名前が振られていなかったのを幸いに勝手にこのような身内の名前を冠して命名してしまったのだ!】に着くと、今年も綺麗なススキの穂が風になびいていた。 以前にはもう一叢あったのであるが、今は残念なことにこの一叢になってしまった。 中秋の名月にはさぞかしこの山の狸さん達がこの園地で腹鼓を打って一夜の宴に打ち興じることであろう。 どうか、この最後の一叢が長くこの山の頂で栄えますように!
 園地にはもう秋の草が一斉に起ち上がり、誰もいなくなった広場では猫じゃらしの穂が風に揺れて、秋の虫共がもう既に鳴き始めていた。

【PS】 今日は台風が日本海側を北上しているため朝から風が結構きつい。 だからといって山に登る人がいないわけではなく、それなりに結構人は登る。 ツクツクボウシが最後のコーラスに血道を上げている。 空には何故か烏の大群(30羽くらい)がまだ明かりがたっぷり残っている夕べの空を優しい声をたてて舞っている。 もう誰も登ってこない夕べの頂上のポツンとしたベンチに一人で腰掛けて、夕暮れの風に吹かれてゆらゆらと風に身を任せている木々や草を眺めていると、ずっとこのまま夜になるまで座っていたくなったけれど、そうもゆかず、渋々膝を叩いて頂上を後にした。 もう人っ子一人いない薄暗い山道を慣れているとはいえ一人でトボトボと歩いていると、「お一人では寂しいでしょう!」と狸さんなどがお供しましょうなどと言って出てきはしないかと期待に胸をふくらませたが、とうとう猫の子一匹現れず、山裾の村の明かりが見えてしまった。
[PR]

# by usasho | 2006-09-18 22:25 | 自然
2006年 09月 12日

コノハズクの小枝

f0068075_22214042.jpg

 大変見にくい写真で申し訳ないのであるが、中央の木の上の黒い固まりはコノハズクという小型のフクロウです。
 明るく映っておりますが、本当は結構薄暗い中で、しかも豆粒くらいの大きさから引き延ばしたたのと、おまけに手ぶれを起こしているため見づらくなっています。 お許しあれ!

 昨日、帰りにいつもの枝に、あのフクロウを発見した。 じつは、いつ帰ってくるのかと毎日欠かさず私はあの枝を見続けていたのだった。
 思わず小躍りしたくなる私をなだめて、この小さな旅人達があの枝に無事な姿を見せてくれた喜びに浸った。 なぜか今年は彼等の帰りを待ち侘びたためか、いい知れない懐かしさがこみ上げてくる。
 この数年来、ここ八尾(大阪府)の山本でこのコノハズクという小型のフクロウが三羽飛来するようになりました。 ずんぐりアタマの、しかし、鋭い眼のこの鳥はグッと真横に羽を広げてほんの真上を滑空するとその大きさと狩人としての勇姿に思わず心が躍ります。
 なによりも、あの枝のあの位置がいつものお気に入りの定位置であるのが不思議です。 また、時々鳴くと本当にニッコリしてしまいます。
 今年も君たちに会えて本当にうれしい。

【PS】 近況報告:体調を崩したのと、物書きに耽っていたので、ブログへの書き込みがしばらくできませんでした。
[PR]

# by usasho | 2006-09-12 22:21 | 自然
2006年 08月 20日

雀ゐさせじとて

 昔、伏見のお稲荷さんへ行くと参道のあちこちに篭が置かれており、その中には哀れな雀達がいつ行っても沢山横たわっていた【注:ご存知のかたはよく分かると思いますが、あの雀達は焼き鳥になって正一位稲荷大明神の総本社への参詣者に食べられるためにこの参道に連れてこられたのです。昔から雀達は稲を食う害鳥の代表として敵視されてきた。】。
 聞けば、裏山の雀のお宿【注:稲荷山の裏山にはかつては一面の竹林が拡がり、文字通りお伽噺さながらの世界があった!】から毎日連れてこられるのだそうだ。 しかし、そんなにいっぱい毎日だまくらかしてこのお店に引き連れてくると、終いにはお宿が空に成りはしないか、と心配すると、今まで成らなかったのだからこれからも成らないのではないか、との“ご返事”。
 でも、心優しいお婆さんが、恐くて気を失っていただけの小心な雀を背負ってお宿を訪ねなかったのだろうかとか、お土産の葛籠はどんなだっただろうか等々とつまらぬことを考えながらよく参道を歩いた。
f0068075_18445974.jpg

 お稲荷さん程ではないが、山本の駅前にも雀のお宿がある。 行きつけの散髪屋さん(今東光氏の作品の登場人物のモデル達は皆ここの客だ)の近くにある木には毎日夕方になると何処から集まるのか分からないが沢山の雀が文字通り押し寄せ、計ったわけではないが結構長いこと集会をやっている。 散髪屋さんに、あれが何を言っているのか分かると楽しいね、って言ったら、あれが分かるようになると結構うるさいですよ、分からないから黙って聞いていられるのであって、分かった日にゃ彼等の喋るご近所や彼方此方の噂話で大変なことになり、知られたくなかった人は訴えることができないから鉄砲でも持って来てパンパンやりだして大騒動になるし、聞きたくもないのにご近所の噂話ばかり朝から晩まで聞かされちゃたまりませんよって言われたが、それも一理はあるなぁと妙に納得したものの、井戸端会議に吾を忘れて打ち興じる雀たちを想像したりしてそれはそれで結構面白いではないかと密かに考えたりもした。
 ある日川沿いの木が何本かド派手に切られてしまった。 どうやら、雀がうるさいとの陳情で困り果てた市役所がまとめて何本か切っていったのだ。 以前にも弁当屋の前にあった大きな木が切られてしまったが、この大木に留まっていた御常連方は周りの小さな木や近くの家の屋根に適当に移ったために結果としてお宿が拡散してしまい、結局うるさい範囲が一挙にあたり一面に拡大してしまったのだ。
 そこで今度は写真のように川沿いのめぼしい木を一網打尽に切ってしまった。 さすがに留まる木が無くなるとめっぽう雀の姿を見かけなくなり、おかげで夕方は寂しいものになってしまった。
 もちろん、彼等のする噂話はさておき、二百羽以上の雀が集まれば、その糞はものすごい量になるし、それが衛生上からいっても決して感心できないことは十分承知なのだけれど、なぜか寂しさを拭えないのだ。 この辺りに住んでいると、そんなことは言えないはずだ、という真摯な議論にも十分に理解はできるが、本当に他に何か良い知恵がなかったのであろうかと考えてしまう。 だって、罪も無い木が何本か切られて景観が台無しになってしまったし、雀が町中の一カ所に集まってくるということはどういうことなのだろうか、その時、特定の一本の木または場所が選択されると言うことはどのような基準があったのだろうかなどということが分からないままになってしまったのだ。
 夕方、木の下を家に帰って行く時、一段と大きくピーチク、パーチクやっていると、今木の上では一体何の話題で盛り上がっているのだろうかって立ち止まってみる楽しみも今では無くなってしまった。

 写真には交差点の建物に人間様のテナントを募集している横断幕が白々しく写っているのですが、周りの人々に愛されない雀達はこの街から追い出されてゆくのですね!
 ところで、雀って平均寿命が約一年半くらいだって教えて頂きましたが知ってました?

【PS】  先日旧友の西村兄とSkypeをした。 西村兄が開口一番、君は旧暦にどれくらい興味があるかと聞かれたので、月が見たくなった時には気になるし、農作業をする人には大切な基準だよねっと妙な答え方をしたら、西村兄曰く、実は今年は旧の七夕が二回できるのを知っているか?ときた!
 何だと聞きただすと、今年は閏の旧七月があるので旧暦では七夕が二度あるのだそうだ、後で日めくりを見てみると確かに太陽暦の8月の30日が閏の旧7月7日になっており、しめて新旧併せると今年は七夕が3回有ることになるのだ! 棚からぼた餅のような閏の七夕にはお願いをそっと書いておこう、きっと良いことがあるゾ!
 ちなみに、閏の旧歴をネットで調べると意外に結構沢山のサイトに書き込みがあり、にわか仕込みの下手な小生の解説よりも、できのよい既設のサイトの方が分かり易く、小生同様にご存じおきの無かった方々はどうかそちらをお調べ下さいネ。
 なれば各々方、9月6日は今年三回目のパリ祭ではございませぬか! ○○○のご用意は密かにもうお済みですかな?
[PR]

# by usasho | 2006-08-20 18:44 | 歩き回って
2006年 08月 14日

四十余年ぶりの邂逅

f0068075_10501799.jpg

 昨日、京都の内の実家へ法事に出かけた。 法要も無事終え、積もる四方山話の後、内と嵯峨野の大覚寺へ出かけることにした。 四十余年ぶりに“あの兎たち”に会うためにである。
 ほどなく、雷こそ鳴らなかったものの、天地の間に雨音を轟かせて篠突くような激しい夕立が辺りを包み込んだ。
 半時程暴れ回った雨雲は、気が済んだとみえて、カラッと一気に余分な雲を払い、夏の青空に涼風を添えて呼び戻すと、昔と少しも変わないやりかたで三つ指を突いてどこかへ消えていってしまった。 今までの天気がまるで嘘のように思えるようなこの京の夕立の作法は、味わった者にしか分からない不思議な魔力をもって京の夏をその魂に刻み込むのだ。
 大覚寺には四時過ぎにやっと着いた。 四十年という時をもものともせず、私の記憶は何の迷いもなく真っ直ぐに玄関から古い友達のいる廊下へと私を連れ導いた。 四十年たっても彼等は相変わらず板の上でくつろぎながらのんびりと時を過ごしている。 彼等にとってはもう既に三百年以上この板の上で飛び跳ねたり、寝ころんだりしていたので、私が懐かしむ四十年はほんの一時にしか過ぎないのだろう。
 久しぶりの邂逅は瞬時にして心の中の時の堰を打ち砕き、溝を跡形もなく掻き消してしまった。
f0068075_10502685.jpg

 私は高校の授業に辟易していた。 かなりの無茶な抵抗は大きなリスクを後々まで引き摺ることになる。 当時同級生が受験勉強に目の色を変えているのを尻目に、私は自らを試すためにいま一つの無茶を始めかけていた。 京都大学の親学会へ提出する論文「日本的美意識について」(原稿も同稿を掲載してくれた雑誌も今は失ってしまったが、論題はこのようなものだったはずだ)を書くために京都へ日参し始めたのだ。 とりわけこの嵯峨へはほとんど毎日のように通い、足が動かなくなるまでひがな一日ただひたすらあたりをさまよい続けた。
 そんなある日、私は初めてこの兎たちに出会った。 というより、この兎たちに出会い語らうことで、論稿を少しずつ組み立てて行くことができるようになり、長く苦しいトンネルを抜けるためには、どうしても辿らねばならない心の呪縛を解くための糸口のありかをも、また彼等から教えられた。
f0068075_10503324.jpg

 兎たちは昔会ったときよりも一層のんびりと楽しげにふるまっていた。 四十年余を経た彼等との邂逅は一気に時の垣根を蒸発させてしまい、時間の観念が故障し、そこに板があることさえも意識できなくなってしまった。
 夕立の後、雲一つ無く晴れ渡った空の下、吹き渡る涼風の中で内と共に波一つ無い鏡のような大沢の池とそれに続く緑滴る山々を眺めていると、あの草のむせかえる暑さの中を何ものかに憑かれ、何かから逃れるようにただただ歩きさまよいつつ拭った汗の記憶がまるでつい先程であるかのように手に蘇り、さまざまな思い出が透き通った涼風と一緒になって、身動ぎもせず池を眺めて佇み続ける我々を包むように優しくそしてゆるやかに吹き渡り、空になった心の中を撫でて慈しんだ。

【PS】 しかし、実に家が建て込んだものだ。 かつての嵯峨野の風情は私の記憶の中にしか見いだせなかった。 ただ、克明に焼き付いた記憶は驚くほど正確に元の姿を幻のごとく呼び起こすことができたため、決して道に迷うことはなかった(しかし、不思議なことに、昔よく迷ったところは四十年経ってもまた迷ってしまった)。

 様相を大きく変えたとはいえ、四十年ぶりの嵯峨野も昔と同じくらい優しかった。 私の目の前、数メートル先をノートと鞄を抱えたおかしな学生がキョロキョロとあたりを見回しながら歩き回っている姿が、目の前の有様と昔の景色との間にだぶり、今の世界と私の記憶の世界との間を彼が絶え間なく往還するのだった。 彼の足許には兎たちが道案内をするために時々振り返りながら駆け回わっていた。

【PS2】 渡辺始興筆の「野兎図」についての筆者の雑感は、筆者のほかのサイト の該当の箇所をご覧下さい。
[PR]

# by usasho | 2006-08-14 10:49 | 邂逅
2006年 08月 01日

走る夕焼け

f0068075_23465530.jpg

 空が真っ赤に染まるといつも思い出すことがある。 名著『古寺巡礼』で土門拳氏が宇治の平等院を撮影に行かれた折、帰りがけに思いもかけない美しい夕焼けが鳳凰堂の屋根に懸かっていたのを発見され、慌てて撮影体制を組まれた時、準備に手間取る中で空を睨んでいると、まるで空が走っているようだったというようなことを述べられた。 夕日を見ていると先生が本当にそう思われたことをいつも追体験してしまう。 光と光景が激しく千変万化していっても空が走るのはやはり朝ではなく夕方であろう。 十三峠によく昼過ぎから登るのは、やはり帰りの空が茜に染まるのを見ながら下るのが大変楽しいからだ。
 今日は珍しく美しい夕焼けが現れた。 少し帰りが遅くなったために家路の途中で茜雲が陰りだし、住宅地の中ではなく空き地の草原のところで夕焼けを見たくなったため、少し急いでどうにかこうにかやっと原っぱにたどり着いた。 暗いためにフラッシュで不自然に光っているが、この原っぱにはいっぱいの猫じゃらしが夕べの涼風で気ままに揺すぶられており、本当に見ていると心を和ませるものがあった。
 それにしても土門先生にお会いでき、その魂に触れることができたことは決して忘れることのできない思い出である。 多くの書物には先生の恐い顔の写真が多いのだが、お会いできた折のあの満面の笑顔は生涯忘れることができないもので、一瞬にして大人物の魂に触れた時の心の鼓動を今でも思い出すことができる。
 まだの方はぜひ『古寺巡礼』の宇治平等院の写真をご覧ください!

【PS】 昨日は玉串川の近くでヒグラシが鳴いていた。 立ち止まって声に聞き惚れていると、何を勘違いしたのか川の鯉が口を開けてバシャバシャと近寄ってきたため、せっかくの涼しげな蝉の声と共に現実の世界に引き戻されてしまった。
[PR]

# by usasho | 2006-08-01 23:46 | 自然
2006年 07月 30日

今でも静かに並び続ける旧陸軍兵卒達

f0068075_1294237.jpg

 ここは大阪真田山にある陸軍墓地。 真田幸村が奮戦した真田丸が在ったと言われる宰相山の西に接してこの墓地は人知れず佇み続けている。 墓碑を読んでいくと日清日露の両戦役の戦死者が多く見られる。 極めて小振りなこの墓碑の多くは崩壊の危機が迫っているものもあり、細々と有志により維持と管理が行われている。 訪れる人も少ないこの墓地は、地区では桜(陸軍の象徴としての桜)の隠れた名所として有名らしく、桜の木が多い。 夏だから蝉時雨が凄いだろうなと思ったが、今日は意外と深閑としていた。
 戦後60年を経て日本の軍隊の記憶は靖国問題を始めとした一部のセンセイショナルな報道が跋扈しているが、かつては総ての国民を巻き込んだ近代日本最大の組織の具体的な姿を科学的に究明する作業がおくれていることは極めて遺憾な現実である。 政治性とイデオロギーの狭間で多くの研究者を悩ませたこの作業は避けて通るべきではなく、やはり急いで構築すべきものであろう。 真摯な若い研究者がこの作業グループをフォーラムとして立ち上げたことは本当に喜ばしいことだ。 しかし、ここまで来るのに60年を要したことも記憶しておく必要がある。

【PS】 電車に乗っていても、街を歩いていてもあちこちに祭りの提灯や横断幕が目に付く時節になった。 なぜか祭礼の声を聞くと、良い年をしていても子供の時を思い出し浮き浮きするものがある。 書斎でこれを書いていると、近くの神社からたどたどしい太鼓の響きが聞こえてくる。 夜は大人達が騒ぐため大人のいない昼間に子供達が見よう見まねで叩いているのだ。 調子外れな音だけどこの方がかえって愛嬌があって面白く、神様もきっとご満足であろう。
[PR]

# by usasho | 2006-07-30 12:09 | 歴史の証人
2006年 07月 27日

曰く、不可解!から始まる面白い世界

f0068075_2024537.jpg

 これは大阪のとある駅前に置かれている自転車と自転車放置を防止するための柵です。 今日はいつもより自転車が少な目なので、駅までの道はまだ通りやすかった。 学校が休みの分、学生が乗ってくる車が減っているからなのだろうか。
 ひどいときには辛うじて人の行き交いができる程度にしか道が残されていないときもあり、どう見ても狭いこの駅前の状況から、ここへは自転車を止めてはいけないことは、誰の目にも当然だと思える。 従って、駐輪を差し控えることや禁止の柵を置くこと自体、住民にまんざら無理難題をごり押ししているとは思えない。 なのに、この狭い駅前広場に自転車を置いて行く人は絶えず、かつ見ていると至極当然のように、実に涼しい顔をして堂々と置いて行くのだ。 親子連れの普通の家族までもが何の躊躇もなく普通にである。 彼等が所謂良識が無く、少しおかしな人間にはとても見えないのだけれど、何故か、このような真っ向から相矛盾する掲示と行為が一見何の矛盾もなく同時に肩を並べていられる空間が実在しており、じっと見ていると表現しようのない違和感がじわじわと迫ってくることにどうしようもなく焦りを覚えてしまう。
f0068075_20162111.jpg

 次の写真は川西市にある神社の柵に掲示されているプレートである。 神聖であるべき神社の空間に厳禁しなければ(あるいはしていても)何故か不浄物(ゴミ)が投げ入れられることがあるということを神社側が嘆いているのである。 (神社側が嘆くように、このプレートには何かがぶつけられてできた凹みが少なからずある!)
 この神社にはきっと正月やお祭りにはお参りに来てお願い事をする人が、総てではないにしても普段は塀越しにゴミ等を投げ入れることがあるということに対し、じっと見ていると表現しようのない違和感がここでもじわじわと迫ってくることにやはりどうしようもなく焦りを覚えてしまう。

 このようなことは今までは人文系の心理学の領域であったのだが、経済学や社会科学の領域でこれを扱うとどうなるのだろうか、とこのごろ密かに考えを巡らしつつ、いろいろと楽しい時間を過ごしている。 このブログの表題ではないが、歩き回っていると犬ならずとも面白いことにいろいろと遭遇する。 

【PS】 なかなか梅雨が明けない。 電車から見ていると夏になると夕方には奈良県側に入道雲が林立するのだが、今日はあんなに暑かったにもかかわらず、山の向こうには起ち上がる雲が一つもないのである。 もう少し、夏はお預けなのであろう。 心なしか、帰り道でアブラゼミが心細げに鳴いていた。
[PR]

# by usasho | 2006-07-27 20:01 | 歩き回って
2006年 07月 21日

自然の掟

f0068075_19583159.jpg

 朝いつもの川沿いの道で脱皮している最中の蝉を見付けた。 7時前ではあったが、少し遅いではないかと近寄ってみると動く気配がない。 昨夜は大阪も連日の豪雨の続きで一晩中激しい雨が降っており、朝方あがったものの予断を許さぬ情勢であった。 ヒョッとするとこの蝉は不運にも昨夜の激しい雨に打たれて遂に力尽きたのではなかるまいか、と思った。 ただ、時間がなかったので後ろ髪を引かれる思いで朝はその場を離れた。 夕方となり急ぎ家路につき、どうだろうかと思い覗いてみると、やはり推察どうりらしい。
 生き物には常に死が待っている。 宮崎学氏の秀逸な作品を見れば理解できるように、死とはこの地上に生きるものにとって避けることのできないものであるだけではなく、この地上においては本当に必要な現象でもあるのだ。 彼の言う「環境の輪」の上に成り立っているこの地上の掟は生きとし生けるもの総てに平等に訪れる出会いだ。 夕方には蝉の亡骸にまず蟻が挨拶に訪れていた。 このようにして蝉は少しずつ土に帰されてゆくのである。
 地上の掟は生きるもの総てに平等にその愛を注ぐのだ。

【PS】 前から観察している木に留まって死んだままの蝉は今日も相変わらず留まり続けている。 死んでもなお留まり続けている蝉もいれば、土から出て直ぐに力尽きた蝉もいる。 改めて地上の掟というものを考えた。
[PR]

# by usasho | 2006-07-21 19:57 | 自然
2006年 07月 15日

今年初めてクマゼミを見たョ!

f0068075_1025772.jpg

 昨夜帰宅時に玉串川に沿って歩いていると、何故か深閑とした中でニイニイゼミがたった一匹だけ激しく鳴き声を上げていた。 静かな夜にたった一匹だけ鳴かれるとういうのもいささか夏らしくなく寂しいなと思いながら家路についた。
 今朝、図書館へ行くのに川沿を歩きながら、フト見上げるとクマゼミの真新しい抜け殻があるではないか! 
f0068075_10251581.jpg

 さらに数歩歩いたところでクマゼミが静かに木に休らっている。 見るからに生まれたてと言わんばかりの凛と輝く羽根を静かにたたんで桜の木に留まっている。 やっと夏が来たぞ! そう思うと、先ほどから噴き出していた汗も吹き飛ぶくらいうれしくなった。

【PS】 京都は夕方激しい夕立に見舞われた。 図書館からの帰り、雷はさほど激しくはなかったものの、甍を揺るがすような激しい雨が視界を奪う中、お寺の門を借りて雨宿りした。
 今日は祇園祭(宵宵山)だから内外の観光客が町に溢れ、国際色豊かな雨宿りになった。
 ただ、何も考えず、ボーッと雨を見て立っているこの風流な時間は実に楽しいものだった。
 走り惑う人々、屋根から飛び散る水しぶき、雨宿りに入ってくる人々の国際色豊かな会話、互いに気遣う浴衣の裾、雨に濡れた下駄の感触をおもしろがる若者達、時折走る稲妻に激しさを増す雨で霞む京の街はうずくまるようにそこに佇む。
 小降りになりかけると、一人、または一組と人が去ってゆく。 夕暮れの中、いっとき見知らぬ者同士が肩を寄せ合って、またそれぞれが思い思いに去ってゆくこの時の流れの面白さは、ここが京都であるが故に、なお一層豊かな、そして、いとおしく流れる時というものを感じさせる。
 何年ぶりかで味わった京都の夕立は、昔と少しも変わらず、そこにいるだけで降った雨が潮の如く豊かに、しかし静かにたっぷりと心を満たしてくれた。
[PR]

# by usasho | 2006-07-15 22:24 | 自然
2006年 07月 08日

雨曇りに登れば

f0068075_2204489.jpg

 今日は梅雨前線と台風のせいで雲行きが怪しい。 家の前から眺めると、山の頂には雲が懸かっておらず、ほんの少しだが薄日も差す。 体調がこの二週間程極めてすぐれないのだが、トレーニングをかねて登ってみることにした。 湿度が高い分、登り始めから汗が止まらない。 肌のベタベタ感が気になったが、高みを得るに従って風があり気持ちがよい。 登山口からは様相がさすが違った。 極めて滑りやすい上に段々と雲が出てきたため、そうでなくとも鬱蒼としているのが昼間から真っ暗である。 そのうちに葉に雨が当たる音がしだし、木の上では降り出したことが分かった。 約三分の二程登っていたが今日はここから引き返すことにした。
f0068075_2214587.jpg

 山道を歩いている途中、独特の樹液の匂いが辺りにたちこめ、昆虫達の泉がほとばしり出ているところがある。 極めて暗いうえに、さらに私の頭から二メートル程上の様子はもっと分かりずらいものの、いくばくかの虫が飛び回っていることがどうにか分かったので、そちらに向けて一枚だけ写真を撮っておいた。 家で落ち着いてみてみると左上の方にどうやらカブトムシが写っている。 今年最初の成虫なのだろう。 虫達の掟が支配する世界がもう活発に始まっており、今年の夏はもう直ぐそこまで来ている。 山ではもう、ニイニイゼミが鳴いているのが聞こえた。

【PS】 山を下ってくると、さすが下界は雨がほとんど降っていなかった。 恩地川の橋を渡っている時、フト下の川を眺めると、大きな亀が首を水面にあげて休憩中である。 どう見ても日本の固有種ではなさそうだ! これを見ても、ペットとしての外来種の輸入は行政が下した最低な悪政の見本であることが良く分かる。(ちなみに体長は約20センチ程)
f0068075_2215666.jpg

[PR]

# by usasho | 2006-07-08 21:59 | 自然
2006年 06月 26日

登りたくなる木

f0068075_2322044.jpg

 東京へ研究会に出かけた。 朝早く着いてしまったため時計台の前のベンチに座って本を読んだり、ノートPCに打ったりしていたが、フト目の前を見ると実に枝振りの良いクスノキが立っているではないか。 いままでに、このような素晴らしい枝振りの木は見たことがない。 見ているうちに登りたくてウズウズしてくる。 小学生だったら間違いなく登ったであろうが、この年になってはそうもいかず、見ていると何ともいえず悲しくなってしまった。
f0068075_22421014.jpg
 見ているだけでその気にさせるなんて、この木は実にすてきな木だ。 このゆったりとした木が二本左右にあって時計台の広場を囲んでいる。
 木々に鳥が集まり、人も集う。 楽しい語らいと思索の時が流れ、見上げるとそこに優しい木が静かに立っている。 これこそこれらの木に備わる徳とすべきものなのであろう。

【PS1】 木を眺めながら朝の御握りを食べていると雀が何羽も寄ってきた。 本当にビックリする程近くまで寄って来るではないか。 ここは東京だろう? っと思うのだが恐がりもせず、寄ってきて御握りをねだるのだ。 何粒かを指の先に付けて差し出すと本当に寄ってくる。 羽根を左右に下げ気味で小刻みにばたつかせ、首を突き出してもっとくれという。 ベンチの石のもたれの上に並べてやると面白いように食べる。 エー、本当にここは東京かしらと目を疑った。
f0068075_2242411.jpg

【PS2】 ここ東大の経済学部で春は恒例の研究会をやることになっている。 何年か前、大教室でやっていると、開かれた窓の枠にカラスがやって来てジッと中を向いたまま静かに留まっていた。 まるで話を聞いているように見えるのだ。 休み時間にある先生がこのカラスを指して、さすが東大のカラスは違うゾ!研究会の話しが理解できるんだ!っと言ったら一同大笑いになった。
[PR]

# by usasho | 2006-06-26 23:01 | 歩き回って
2006年 06月 05日

「ありえねー」って、本当に?

f0068075_2253486.jpg
 以前紹介したことのあるクマゼミがこの六月に入ってもまだ同じ場所に留まっている。 いつ見ても不思議な光景だ。 紅葉を経て雪の降りしきる真冬が訪れ、桜の便りを耳にしていたら最早ツツジが咲く時節となった。 どうみても、はや十ヶ月以上、彼はこの位置に静かに留まり続けていたことになる。 はじめは面白かったので、いろいろな方に話してみた。 しかし、残念ながら興味を懐いて胸躍らせながら跳んでやってきた人はいなかった。
 なぜか、反応される方の心の奥底に、「そんなことって、ありえねーョ!」っていう共通項を感じるだけではなく、おまけに冷たい視線に曝される自分に気が付く。 疑いながらもやってきてくれた人はまだいいが、それらは極めて希なだけではなく、それらの人も「ヘェー!いるんだ、本当に!」で会話がそこでほぼ終わってしまうのだ。
 でも、それって本当に「有り得なかった」ですか?
 あなたの心のどこかに跳ぼうとする足や翼を否定し、常識的な世界への安住に浸りきろうとする心の疲れが芽生えていませんか?
 死んでしまったとしても、約十ヶ月の長きに渉り、木に留まり続ける蝉がいるのです。 それを正面から見ようとしないあなたの目はもはや節穴になっていませんか。
 日常の判断基準が揃ってしまうことにより、ひとびとは常識の世界の虜になってしまいやすいのです。 なぜなら、常識の世界こそは世間を波風なく歩けることを約束してくれそうな一番の保証なのだからです。
 あり得るのかどうか、もう一度辺りを見回してみませんか?
f0068075_2254823.jpg

【PS】 蝉の斜めアップです。 羽根は結構傷みが激しくなってきました。 眼も汚れて汚くなり、キズがあるのでしょうか。 でも、体の細部に至るまで風雨に曝されながらよく原形を保ったものだと言うことには驚かずにはいられません。 この写真を撮っていると、前を通りがかった人が「何をされているのですか?」と聞いてきたので、「蝉を撮っています。」っとこたえると、「ヘェー!」って言って通り過ぎてゆきました。
[PR]

# by usasho | 2006-06-05 22:51 | 自然
2006年 05月 28日

歴史的遺産と町造り

f0068075_1838275.jpg

 備前は池田家31万5200石の大身があるため小藩は目立たない。 しかし、現在の岡山市からJRで二駅西へ走ると、そこには庭瀬藩2万石(板倉家の代で明治を迎えた)の家並みを今でも目の当たりにすることができる。 写真はその庭瀬藩の陣屋跡だ。 文字通りの小さな藩ではあったが、街を歩いてみると、さぞや昔は美しい家並みが軒を連ね、縦横に結ばれた水路には水面に心奪われる影が揺れて、水鳥がそこかしこで餌をついばみ、菱の実がたわわに実り、子供達の声が辺りにこだましたことであろう。
(蛇足だが、この陣屋跡から西に200メートル程の処にもう一つの陣屋―幕府領で石高は五千石だが、さすがこちらの方がでかく、親藩とはいえ2万石の方がこぢんまりしている―があるという全国的に見て実に珍しい景観をここ庭瀬は持っている。 更に蛇足を重ねると、元々の庭瀬城本丸が西の撫川陣屋となり、残りの東側が東の庭瀬藩の陣屋になったためにこのような面白い現象が起きたのだ。)
f0068075_18381319.jpg
 しかし、現在はどうであろうか。 ご多分に漏れずここにも大都市が雪崩れ込んできて(皮肉なことに隣の岡山市の隣接住宅街としての位置付けで)目の前に拡がる過去に繋がりをもたない人々が多く住まうようになった。 駅前で何人かに陣屋のことを聞いてみたのだが、正確に答えられる人はいなかった! 本当に残念なことであるが、この誇らしくも美しい歴史的景観をもつ陣屋跡の街は、今の多くの住人の関心を呼んではいないように見うけられた。
f0068075_18382319.jpg
 口惜しくも残念なことだ。 岡山市と比べて、決して遜色どころか、いやそれ以上の環境を持ちながら、住民の関心が上がらず、町は特色を日々失いながら、せっかくの歴史的世界を過去の世界に葬り去ろうとしている。 町造りをはじめとして、人々の意識の中に歴史的世界を活かした生活の場を創る工夫を巡らせば単なる地方都市などというけちくさい範疇ではなく、素晴らしい未来に誇ることのできる“住まいの場”を生み出せるのにと思った。 恐らく小生が知らないだけであるいは多くの心ある人々がそう思って日夜知恵を絞っておられるのかも知れないが、行政を含め、誇れる街並みと特色ある地域社会を未来に残すためにも、今こそ積極果敢な運動の展開をなんとしても期待したいものである。f0068075_19245915.jpg
 歩き回ると水路には田舟が浮かんでいるのがあちこちに見られる。 これももう少しすると過去の世界へと消えてゆくのであろうか? 一見便利そうではあるが特色のないどこにでも在るような街を造ってゆくよりも、いつも心の中に息づいて消えることのない、みんなの心の財産となるような愛着のある街を育てる工夫こそが日本では今最も問われなくてはならないものだと思う。 このような人々のたゆまぬ営みの中からだけ、我々の未来の新しい文化が育まれてゆくものだと考えている。

【PS】 母は実家からこの庭瀬の駅まで毎日歩いて通い、汽車に乗って岡山の女学校へ通ったのだそうだ。 この駅からは先ほどの板倉家のお嬢様も加わり一緒に毎日通ったそうです。 冬は星降る中を手を凍えさせながら通い、いまだ家がまばであったためか、線路脇を走りながら汽車の釜焚きに「待って下さい!」といえば「はよこいよー」とそれなりに待ってくれたのだそうです。
 叔母の四十九日への参列に朝早く大坂を出た甲斐があったのか、思ったよりも早く到着できたため、庭瀬の駅から母の実家まで試しに歩いてみることにした。 周りをキョロキョロと物色し、それなりに時間はかかったものの、亡き母に導かれてつつ途中数々の収穫を集めたが、しかし間違いなく時間までにはキチンと到着することができました。
[PR]

# by usasho | 2006-05-28 18:37 | 歩き回って
2006年 05月 14日

一日の終わりに

f0068075_1214077.jpg

 人は一日の終わりに何を思うのだろうか、と考えたことがある。 大阪市内に住んでいる時や学生の時、さらには社会人になってからもあまりこのようなことを考えたことがない。
 この八尾に引っ越してきて、この信貴山の麓から山に登るようになって以来、このようなことがふと頭をかすめることに気が付いた。 年の性と言うこともあるのだが!

 住所としてはうまく説明が出来ないのですが、好みの道をジグザグと十三峠付近へ登る少し人家が途切れるあたりにこの観世音菩薩はお立ちになっておられる。
 わたしはここから眺める夕日を殊の外気に入っている。 別に特別に目を見張るような秀麗な眺めではないのだが、稲を焼く煙や里の犬の声々、学校からの帰宅を促すチャイムの音等々の匂いと音が案配よく混ざり合ってなぜか心落ち着くものがあるのです。
 ただそこに立ち止まって、ほんの数分間のドラマを楽しみ、夜のとばりが降り始めた坂道を余韻を噛みしめながら家路を辿って、暗くなった道の奥に我が家の灯りを認めると、ホッとして少しだけ足早になり、玄関の扉をおもむろに開けるのです。

【PS】 あるとき、この場所で夕日を楽しんでいたら、孫を連れて散歩中のこの辺りに住む老人と話しをする機会を得た。 かれに、毎日ここから美しい夕日が眺められて良いですね、っと言うと、彼は我に返ったようにハッとなり、ここに七十何年も住んでいたが、ここからの夕日を見た記憶がない、言われてみれば本当に美しいものですな、と立ち止まり、一緒に六甲の山へ落ちてゆく真っ赤な太陽を楽しんだ。 その日は、殊の外夕日が美しく、三人はただただ言葉なく眺めていたが、お互いに篤く礼を言い合って左右に分かれた。
[PR]

# by usasho | 2006-05-14 23:20 | 歩き回って
2006年 05月 13日

BARROW STEEL 1897 ―町の片隅で―

f0068075_22716100.jpg

 日本国有鉄道の流れを汲むJRの古い駅には古いレールが建築用鋼材として鉄骨に流用されている様子を数多く見ることができる(旧国鉄以外にも古い私鉄の駅を探すとここにも多く発見することが可能だ)。 (細かに探せば鉄道以外にもさまざまな用途があったことが知られている。)
 写真のものは、大坂環状線、玉造駅のホームにあるもので“BARROW STEEL 1897”と読むことが出来る。 イギリス製(BARROW STEEL) で1897年(明治30年)に製造されたものであることが分かる。 この年(1897年)に日本はやっと官営八幡製鉄所が設立され(操業はさらに4年後になる)、7年後(1904年)には日露戦争に突入し、9年後(1906年)に鉄道国有化―日本国有鉄道―に辿り着くのである。
 写真のレールがいかなる経緯でこの場所にたどり着いたかは不明であるが、新品の鉄道用レールであれ、使い古された古鋼材としてであれ、日本に辿り着いて、ある年この駅の建築用鉄骨としてこの位置に納まり、現在に至ったのだ。
 目を凝らしてあたりを見回してみると、意外と身近にはいろいろな面白いものがあるゾ。

【PS】 内が包丁の切れが悪いと嘆く。 いままで待たせてあったものだから、仕方なく今日は夜に包丁を研いだ。 私は普通は家人が寝静まるか、不在の折りにしか刃物を研がない―誤解を解くために(?)言っておくが、あくまでも神経を集中させるためにそうするのであって、特に他意はない。しかし、第三者として客観的にみれば、あまり見ていてそれが気持ちが良いものだとは言えないということにかんしてはそれなりに理解はできる―。 集中して研いだものと、よい加減に研いだものとは切っている時の刃の通りが指に伝わる時の感覚が異なるという理由からだ。 だから、急げば急ぐ程うまく研げない。 夕食に間に合わすために、結局妥協を図った。 やはり、どうも言葉にならない忌々しさが拭いきれない。 心の乱れというものが鉄には伝わるのだと思うと、溜息が出てならなかった。
[PR]

# by usasho | 2006-05-13 22:06 | 歴史の証人
2006年 05月 07日

新:命の森からの便り

f0068075_15562478.jpg

 我が家には結構図鑑がある。 私が結構こまめに買い集めたものだ。 しかし、どういう訳か、持ち出し用のハンディなものをいつも持ち出すのは春だけなのだ!
 その秘密は色と形ではないだろうか! 春はまだ形が定まらないものがあるためと、色遣いが溢れるさまざまな生き物が周りに一斉に溢れ出す。 図鑑を持たずにはいられないからだ。
 ほんの僅かな色遣いにも春は楽しませてくれる。 落葉樹は冬の間に新しく芽を用意し、春になれば一斉に新しい葉をバリバリと音がするくらいの勢いで伸ばし始める。 若い葉は薄いために緑が薄くなり、見上げると違いがよく分かる。 私達が見ても、別に涎が出ないが、虫達や鳥や獣にとっては実に美味しそうな葉っぱなのだろう。 あっという間に食べられ始める。 中には食べられないためになのだろうか、出たてが赤い葉っぱがあったりする。
 豊かな森はこのように様々な仕方で多くの命を育む。 いろいろな木々が混じり合うことで更に多くの生き物が集うのだ。 多様性こそが豊かさの証であり、豊かであることもまた多様性を増やす要素でもある。 この関係を無粋に断ち切るのは残念ながら人であることが多い。 本当に残念なことだ。
f0068075_15563464.jpg

 山でどういう訳かクマバチの亡骸に何度かであった。 一体どうしたのであろうか? さっきまで空を駆けめぐっていた翼はたたまれて冷たく地面に横たわることは決して珍しいことではないが、春から同じ種類の個体が多く死んでいるのを見付けることにふと気になった。

【PS】 今日は朝から雨だ。 虫達にとっては雨は決して単純なものではないはずだ。 加速度を付けて空から落ちてくる水滴がどこかに当たれば体の大きさに対して相応の衝撃があるだろう。 恵みの雨とは人のせりふであって、虫達にとっては魔の天候変異でしかないのだろうか??? とりわけ春は木々の葉が若く薄いため衝撃を受けやすいのでは…。 しかし、雨が降った後、大量の昆虫が死んでいるという報告は余り聞かないが…???
[PR]

# by usasho | 2006-05-07 15:55 | 自然
2006年 05月 06日

続:命の森からの便り

f0068075_12132823.jpg

 この森には狸の小径と私が名付けた径がある。 この径の奥には狸の巣があって狸が暮らしているのだが、できるだけ近寄らないことにしている。 もし、お互いの境が接近することで、彼らの生存に不具合が生じないためにである。 従って、この小径は誰にも教えていない。
 運良く彼等と出会えた時には、互いに一定の距離を置いて地面に腰をかけ、知らん振りを決め込み、時々チラチラと見るだけで、それ以上は決して干渉せず、お互いに尊重しあう関係を私は彼等と保ちたいと考えている。
 長野や、奥飛騨のように極めて自然が豊富にあるところ(→あくまでも、この大阪の地から見てのことで、そこに住んでいる方々が我々以上の危機感を持って日々暮らしておいでなのも十分承知の上で申し上げているのだ)と異なり、すぐそばまで家や車どころか町全体が猛突進して山とぶつかり合っているこのあたりでは、この残されたわずかばかりの自然が殊の外愛おしく感じるからだ。
f0068075_12141245.jpg

 五月の森は命がすさまじい勢いで山にあふれ出した。 自然の掟が彼らを導き、森に一定のリズムを刻み込んでいる。 巨大な食物連鎖だといってしまえばそれまでだが、もう少し異なったスパイスの在り方もここではほしいではないか!
 冬の間、木漏れ日が地面を明るく照らしていた森も、もはや点で突くくらいしか日が当たらなくなった。
 森の奥で何かがゴソゴソとうごめいているのだが、緑の向こうでよく見えない。 向こうから何ものかが私を見ているのだろう。 この森はかれらの住み家なのだ。 心して歩こう!

【PS】 浦島草が15センチばかりの高さで糸を垂らし始めた。 初めて見たときは、何となく薄気味の悪い花だったが、この時節に山でこれを見るとニッコリする。 しかし、浦島草とはうまく名付けたものだ。
f0068075_13323170.jpg

 どこに行ってもしきりに鶯が喉をふるわせている。 相手を呼ぶ声が時に血走って聞こえるのは年の性か?
[PR]

# by usasho | 2006-05-06 12:11 | 自然
2006年 05月 05日

命の森からの便り

f0068075_22393883.jpg

 目を閉じて耳を澄ませば、細かな雨でも降っているような音がする。 目を開いてみると、緑の森の真っ直中で、遙か上には雲一つ無い青空が拡がっているではないか! 一体この音は何なのだろうか?っと思いしばらくそこに佇んでいた。 樫の木の若葉が幼虫に随分食べられており、目の前には幼虫がブランコを何匹も何匹もやっている。 落っこちた幼虫がそこいらにいっぱいはい回っている。 足下の枯れ葉にもポタポタ、ポタポタと小さな音が絶えず響いている。
 そうだ!無数の幼虫たちが一斉に若葉を食べる音と、彼等が落とす糞が下の昨年の落ち葉にあたる音がまるで雨のように聞こえているのだ! 極めて多数の幼虫が一斉に若葉をついばみ始めるとこのように不思議な音がする。 この時期、山ではいつもこのように驚かされるのだ。
 この幼虫たちをねらって鳥や昆虫たちの捕食者達が一斉にやってくる。 捕食者達のお腹が満腹になるか、幸運が重なって成虫にまで辿り着いたものだけが子孫を次の世代へと送り出すことが出来る。 一見不幸な世界のように見えるが全体を見た場合、豊かな命を育む森の普通の姿なのです。 このようにしてバランスが保たれ、次の世代がそれぞれ約束されてゆくのです。

 山から降りていると、オオオサムシが捕食中だ。 夕日に照らされ、身じろぎもせずモデルに収まったこのオサムシは、昨年からの越冬者であろう(今年孵る成虫は早いものでもまだ一月ほどかかるからだ)。 黒光りのする立派な面構えのこのオサムシはこの写真を撮っている間、身動ぎもせず、食料をくわえたままポーズをとり続けた。 一冬を森のどこかで耐え抜いたこの虫は次の世代を残すことに、今一生懸命なのであろう。
f0068075_22395071.jpg


f0068075_22395923.jpg


【PS】 この時期山はスカンポ取りの人で結構賑わう。 私はスカンポをいまだに食べたことがない。 アラアラ!って思うようなところをよじ登ってまでも太いものを、また、人よりも一本でも多く集めようとしておいでなのだからさぞかし美味なのだろうが、拙宅にはこの食事法が伝わらず、未だこれを食すること能わずだ。 何人かの団体さんのお爺さん、おばさんにいろいろとご教示頂いたのだが、結局よう見付けないで手ぶらで帰ってきた。 今年も、また食べられなかった。
[PR]

# by usasho | 2006-05-05 22:39 | 自然