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『犬も歩けば棒に当たる』 ~辺りを見回してみよう!面白いことがいっぱいあるぞ!~

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2006年 02月 26日

時の彼方から太鼓とお囃子の音が聞こえる

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 昨日、奈良県橿原市の八木を訪れた帰りに耳成山に登った。 帰りに中腹にある山口神社を訪れた。 絵馬がたくさん懸かっていた中に、正面にあったこの絵馬が気になった。 時代を経ているようで、顔料が褪せて画像が極めて不鮮明になっている。 この場合斜めからフラッシュを焚いてやると顔料と板の部分にうまく光が回っていくらか絵が浮き出てくる場合があるのだ。 家で画像処理をしてみると、いくらかはやはり絵が浮き出てきた。 社殿の前で多くの人が太鼓をたたいたりして踊っている。 その周りを旅装束とおぼしき何人かのひとびとが取り囲んで楽しんでいる。 中には子供連れの旅人が居る(絵をクリックすると、さらにいくらかは拡大します)。 この辺りは東に道を取ると伊勢に通じる。
 気になるのが制作年代である。 右上の方に年号が入っているのだが○○元年であることと、その年が酉年であることが分かる。 上記の条件に合致する年代を調べてみると十九世紀まででゆけば、享和元年(1801年)と文久元年(1861年)が該当する。 ちなみに、文久元年は皇女和宮事件の年であり、その前年は安政の大獄の頂点としての桜田門外の変が起きた。 享和元年はとくに大事件はないが幕藩体制の軋みが少しずつ目立ち始め、農村問題が表面に露呈し始め、外国船の出没が激しくなりだした。 次の年に『東海道中膝栗毛』が出版されてもいる。
 いずれにしても、専門の領域ではないので解説は慎まねばならないが、本当に気になる絵馬である。 これだけではなく、道ばたに佇む石造物や地域のさまざまな遺産からは、この僅かな小口群からの小道が当時の農村復元(質と量と差異、これらに基づく諸構造)への豊かな道へと辿ることができるのではないだろうか。 そんな想いで、この絵馬を眺めていた。

【PS】 このように随所に見うけられ、かつそのほとんどが長年の風雪に耐えた絵馬は極めて表面が不鮮明になっている場合が多い。 しかし、その中に秘められた情報は極めて貴重なものであるが、物が大きく、かつ、同様な物が全国至る所に存在し、絵そのものの芸術性はあまり目を引く物ではないために、保管と情報の結集には極めて難しいものがある。 しかし、全国を一括してその存在を見る時、含まれる情報の質の貴重さと、各地域相互の情報の連続性には驚かざるを得ず、何らかの対策を立てる必要があるのだが。 (それは、このような地域の歴史遺産を造った人間の行動の根底にある共通項こそを問うことができるからなのだと言えよう。)

by usasho | 2006-02-26 15:03 | 歴史の証人
2006年 02月 22日

木の風格

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 むかし、ご縁があって土門 拳氏にお会いできた。 リハビリで顔色はすぐれてはおられるが、すでに会話がご不自由である旨のご注意を車椅子を押してこられたお弟子さんからお聞きしていただけでなく、夢のような機会に上気した性もあって、緊張のあまり何をしゃべったのか皆目覚えていない。 先生はお会いしている間中、終始にこにこしておいでであった。 いろいろの風説や彼の書物で、結構頑固な先生を念頭に置いていたのに、思いもかけなかった応対に、ある意味面食らってとまどった。 その日は黒の紋付き羽織を召されていたこともあってか、その近寄り難いまでの風貌に打たれ、ことのほか上がってしまったが、ただ、うんうんとうなずかれながら話をお聞きいただいている間中、私を見つめておられた先生の目に言葉には表しがたい程の静まりと優しさをひしひしと感じた。
 じつは、この眼差しは以前にも経験がある。 恩師の山田盛太郎先生である。 土門先生にお会いしている間中、その後ろに山田先生を感じていた。 お二人に共通することは、己を尽くした人間のみが醸し出すことのできる深い“人のあじ”であろう。 まこと、風格とは、あるべきその人にそっと備わるものなのだとしみじみと感じた。

【PS】 本文と写真が違わないかって? いえいえ、辿り着く先が同じなのですョ。 この木は十三峠に至る道筋に立つ木です。 この木に出会って、物言わぬ木といえどもその優れたるものには自ずと備わる辺りをはらうものがあることを知りました。 春夏秋冬いつ出会っても、本当に心打たれる木です。 山に神が宿り、魂を洗うというのであれば、間違いなくこの木であろう。(一番輝く秋の写真をここでは掲げました)

by usasho | 2006-02-22 22:00 | 自然
2006年 02月 15日

歴史を担った貨幣

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 左の貨幣は旧東ドイツの10プェニッヒ、右の貨幣は日本の敗戦時にアメリカ軍が進駐地神戸の駐留地内の軍事用の10セントです。
 東ドイツのものは甥が旅行に行ったお土産としてもたらされ、米軍キャンプのものは亡父から譲られたものである。
 共にその流通した母国であるドイツと日本は、さきの敗戦からのさまざまな怒濤の如き重き歴史を持ち、その一齣を彩った彼等を見ていると、彼等の時代とその前史とが合わさってさまざまな出来事を思い起こさせてくれた。 ちなみに東ドイツの貨幣はアルミでできており、米軍のものは真鍮地にメッキを施したものである。 社会主義を標榜した東ドイツらしいデザインと、素っ気ない米軍のコインからなにかを引き出そうなぞと大見得を切るつもりはさらさらない。 ただ、彼等が歴史の舞台から姿を消してそれぞれ15年と60年近くが過ぎた。 廃墟の跡にも時と共に草は生えてくる。 時代の流れは近視眼的な人間の考えを質してくれるものだ。 曇り無き眼こそが真実の扉を開くのである。 語るべきは真実の全貌でなくてはならない。 踊っているつもりであっても、決して踊らされることのないようにしたい。

【PS】 むかし、東京でソビエト連邦の国章の鎌と槌を“鎌トンカチ”という軽妙な表現で皮肉を内に潜り込ませた奴がいたし、社会主義経済学や、マルクス主義も“黄昏学派”なぞと悪口を言う輩にも出会い、軽薄な、と腹も立ったが、反面、ある側面を照らした実にうまいことを云うなと感心もしたことをもついでに思い出した。  

by usasho | 2006-02-15 23:08 | 歴史の証人
2006年 02月 13日

冬の蝉

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 昨年11月、ふとしたことで蝉を見つけた。 11月といえば当然蝉は死んでいましたが、彼(蝉は雄でした)はしっかりと木に留まっていたのです。 それから更に3ヶ月過ぎましたが、蝉は相変わらず同じ位置に留まり続けています。 台風を始め、多くの嵐がこの半年余りの間に訪れましたが、ものともせず蝉は留まり続けたのです。 ビルの真横なので、結構おろしがきついのにもかかわらずです。 本当に脱帽です。

【PS】 ところで、この蝉の体の中はどうなっているのでしょうか? 筋肉細胞もどうなっているのだろうか? 見てみたいですね! でも、もう少し放っておきましょう。 いつまで留まってられるのか、楽しみです。 ひとつ疑問があります。 彼はミイラと呼べるのでしょうか、どうなのでしょう?

by usasho | 2006-02-13 20:25 | 自然