『犬も歩けば棒に当たる』 ~辺りを見回してみよう!面白いことがいっぱいあるぞ!~

toubouroku.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:歩き回って( 7 )


2007年 08月 21日

大きな土団子と狛虎

 これは何だろうか?という疑問はどうやらほぼ一斉に起こるらしいゾ!

 先日法事で京都を訪れ、その後、久しぶりに京の町を散策した。 東山法然院へ立ち寄った時、大きな石の塔の陰になにやら我が目を疑うような妙なものがのぞいており、一瞬頭の中が白くなった。
 こりゃ、一体何だろうか??? 12個の夏蜜柑のような大きさのまあるい球が串刺しのようにされて古びた木の台に突き刺さっており、どうやらその下の地面へと固定されているようだ。
 熱心に探してみたものの、全く何の説明も見当たらず、辺がスッキリと掃き清められている分だけ余計にかえってより一層怪しさが増してきた。 辺りをうろうろしながら待ってはみたものの、坊さんらしき人や、お寺の関係者はおろか猫の子一匹さえも出てくる気配がなく、仕方がないので、その前に立って素直な目で見ていると、どう見ても普通の芸術作品にしか見えないのだけれど、いやいや、ここはお寺なのだから、なにやら“秘密の一ひねり”がきっと有るにちがいなかろう!?などとひねくれたことを考え続けたけれど、結局誰一人関係者を見付けることが出来なかったものだから、渋々、取り敢えず写真だけを撮って、お寺を退散することにした。
f0068075_0173610.jpg

 それから一週間後、我々の寺(大阪天王寺区寺町)では施餓鬼の法要が行われ、その帰りに一人愛染さん(同夕陽丘町)の塔を見に出かけ、そのあと、日本橋へ行くために近くの大江神社を久しぶりに通りかかると、ここにはなんと狛犬ならぬ狛虎があるゾ!との表示を見付けた。 好奇心がムクムクと湧き、寄り道してみれば、こりゃまた何だ!っと、思わず目を見張るものがご鎮座遊ばしていたのであった。
 見れば、かなり年代物の(まさしく)虎が、なにやらもの言いたげに口を開き、チラリとこちらを見ている。 形から言っても確かに“狛虎”の片一方に間違いなかろう。 さらによく見ると、どうやら違鷹羽の紋所が土台側面に半分残っていることから、武家がこれを造らせたのではないかとも思われるが、しかし、何故犬ではなく虎なのであろうか、何故右側だけで、左側が無かったのかという疑問が残った。
f0068075_021116.jpg

 しかし、これもまた、よく分からぬままに先が急がれたので、取り敢えず写真だけは撮っておいて、日本橋へと急いだ。
 たまたまその夜更けてネットで調べ物をするほんのちょっとしたついでに(?)いろいろと寄り道をしていると、なんと、これら二つの“何だろうか?”が共に既に取り上げられていて、論評を受けているではないか!
 いつまでこれらのサイトがあるか不明であるが、ともかくはリンクを張ってみよう!
1)法然院 緑陰に数珠か団子か土供養(2007年06月22日朝日新聞ネット版:連載ピンホールの目)
2)大江神社の狛虎(大阪市)(2007年07月05日朝日新聞ネット版:連載勝手に関西世界遺産)

 朝日新聞のこの二つの記事で私の拙い疑問は見事氷解したのである。
 まず、法然院の団子の方は、「陶芸家の中野亘さんが土の供養のために制作、貫主がここに配置した」ということから、どうやら12個の球とは「南無阿弥陀仏」を二度唱えたという意味を数珠に託してこのイメージが創造されたのであろう。

 また、大江神社の狛虎は江戸期にここにあった毘沙門天のお堂があり、それを守護をするためにこの虎が犬に代わってここに鎮座することになったのだというのだった。 その後、お堂が取り壊されてしまい、狛虎だけになり、さらに不幸なことには相棒の吽形が何処かへ連れ去られ、独りぼっちになり所在なくここに座り続け、阪神タイガースが躍進するまでただひたすら耐えて待たねばならなかったのである。(待った甲斐あって、阪神の躍進と共に、相方は最近新しく復元されたけれど、お堂は復元されず、未だにただひたすら主のお帰りを待つ日々が続いているのである!) しかし、よく見ると、愛嬌たっぷりの、実にかわゆい虎ではないか!
 (注:神仏分離令が明治になって猛威をふるったことがこの虎の不幸の始まりで、肝心なことは虎が毘沙門天の使いだったことが狛虎になった所以だというのが、今回のミソであった。)

 私としては、上記の理由にいたく納得はしたものの、これは何だろうか?という疑問はどうやらほぼ一斉に起こるものらしいということが、なにやら不思議でならなかった!

 本当に、辺りを見回してみれば、いろいろと面白いことがいっぱいあるものだ!
[PR]

by usasho | 2007-08-21 00:17 | 歩き回って
2006年 08月 20日

雀ゐさせじとて

 昔、伏見のお稲荷さんへ行くと参道のあちこちに篭が置かれており、その中には哀れな雀達がいつ行っても沢山横たわっていた【注:ご存知のかたはよく分かると思いますが、あの雀達は焼き鳥になって正一位稲荷大明神の総本社への参詣者に食べられるためにこの参道に連れてこられたのです。昔から雀達は稲を食う害鳥の代表として敵視されてきた。】。
 聞けば、裏山の雀のお宿【注:稲荷山の裏山にはかつては一面の竹林が拡がり、文字通りお伽噺さながらの世界があった!】から毎日連れてこられるのだそうだ。 しかし、そんなにいっぱい毎日だまくらかしてこのお店に引き連れてくると、終いにはお宿が空に成りはしないか、と心配すると、今まで成らなかったのだからこれからも成らないのではないか、との“ご返事”。
 でも、心優しいお婆さんが、恐くて気を失っていただけの小心な雀を背負ってお宿を訪ねなかったのだろうかとか、お土産の葛籠はどんなだっただろうか等々とつまらぬことを考えながらよく参道を歩いた。
f0068075_18445974.jpg

 お稲荷さん程ではないが、山本の駅前にも雀のお宿がある。 行きつけの散髪屋さん(今東光氏の作品の登場人物のモデル達は皆ここの客だ)の近くにある木には毎日夕方になると何処から集まるのか分からないが沢山の雀が文字通り押し寄せ、計ったわけではないが結構長いこと集会をやっている。 散髪屋さんに、あれが何を言っているのか分かると楽しいね、って言ったら、あれが分かるようになると結構うるさいですよ、分からないから黙って聞いていられるのであって、分かった日にゃ彼等の喋るご近所や彼方此方の噂話で大変なことになり、知られたくなかった人は訴えることができないから鉄砲でも持って来てパンパンやりだして大騒動になるし、聞きたくもないのにご近所の噂話ばかり朝から晩まで聞かされちゃたまりませんよって言われたが、それも一理はあるなぁと妙に納得したものの、井戸端会議に吾を忘れて打ち興じる雀たちを想像したりしてそれはそれで結構面白いではないかと密かに考えたりもした。
 ある日川沿いの木が何本かド派手に切られてしまった。 どうやら、雀がうるさいとの陳情で困り果てた市役所がまとめて何本か切っていったのだ。 以前にも弁当屋の前にあった大きな木が切られてしまったが、この大木に留まっていた御常連方は周りの小さな木や近くの家の屋根に適当に移ったために結果としてお宿が拡散してしまい、結局うるさい範囲が一挙にあたり一面に拡大してしまったのだ。
 そこで今度は写真のように川沿いのめぼしい木を一網打尽に切ってしまった。 さすがに留まる木が無くなるとめっぽう雀の姿を見かけなくなり、おかげで夕方は寂しいものになってしまった。
 もちろん、彼等のする噂話はさておき、二百羽以上の雀が集まれば、その糞はものすごい量になるし、それが衛生上からいっても決して感心できないことは十分承知なのだけれど、なぜか寂しさを拭えないのだ。 この辺りに住んでいると、そんなことは言えないはずだ、という真摯な議論にも十分に理解はできるが、本当に他に何か良い知恵がなかったのであろうかと考えてしまう。 だって、罪も無い木が何本か切られて景観が台無しになってしまったし、雀が町中の一カ所に集まってくるということはどういうことなのだろうか、その時、特定の一本の木または場所が選択されると言うことはどのような基準があったのだろうかなどということが分からないままになってしまったのだ。
 夕方、木の下を家に帰って行く時、一段と大きくピーチク、パーチクやっていると、今木の上では一体何の話題で盛り上がっているのだろうかって立ち止まってみる楽しみも今では無くなってしまった。

 写真には交差点の建物に人間様のテナントを募集している横断幕が白々しく写っているのですが、周りの人々に愛されない雀達はこの街から追い出されてゆくのですね!
 ところで、雀って平均寿命が約一年半くらいだって教えて頂きましたが知ってました?

【PS】  先日旧友の西村兄とSkypeをした。 西村兄が開口一番、君は旧暦にどれくらい興味があるかと聞かれたので、月が見たくなった時には気になるし、農作業をする人には大切な基準だよねっと妙な答え方をしたら、西村兄曰く、実は今年は旧の七夕が二回できるのを知っているか?ときた!
 何だと聞きただすと、今年は閏の旧七月があるので旧暦では七夕が二度あるのだそうだ、後で日めくりを見てみると確かに太陽暦の8月の30日が閏の旧7月7日になっており、しめて新旧併せると今年は七夕が3回有ることになるのだ! 棚からぼた餅のような閏の七夕にはお願いをそっと書いておこう、きっと良いことがあるゾ!
 ちなみに、閏の旧歴をネットで調べると意外に結構沢山のサイトに書き込みがあり、にわか仕込みの下手な小生の解説よりも、できのよい既設のサイトの方が分かり易く、小生同様にご存じおきの無かった方々はどうかそちらをお調べ下さいネ。
 なれば各々方、9月6日は今年三回目のパリ祭ではございませぬか! ○○○のご用意は密かにもうお済みですかな?
[PR]

by usasho | 2006-08-20 18:44 | 歩き回って
2006年 07月 27日

曰く、不可解!から始まる面白い世界

f0068075_2024537.jpg

 これは大阪のとある駅前に置かれている自転車と自転車放置を防止するための柵です。 今日はいつもより自転車が少な目なので、駅までの道はまだ通りやすかった。 学校が休みの分、学生が乗ってくる車が減っているからなのだろうか。
 ひどいときには辛うじて人の行き交いができる程度にしか道が残されていないときもあり、どう見ても狭いこの駅前の状況から、ここへは自転車を止めてはいけないことは、誰の目にも当然だと思える。 従って、駐輪を差し控えることや禁止の柵を置くこと自体、住民にまんざら無理難題をごり押ししているとは思えない。 なのに、この狭い駅前広場に自転車を置いて行く人は絶えず、かつ見ていると至極当然のように、実に涼しい顔をして堂々と置いて行くのだ。 親子連れの普通の家族までもが何の躊躇もなく普通にである。 彼等が所謂良識が無く、少しおかしな人間にはとても見えないのだけれど、何故か、このような真っ向から相矛盾する掲示と行為が一見何の矛盾もなく同時に肩を並べていられる空間が実在しており、じっと見ていると表現しようのない違和感がじわじわと迫ってくることにどうしようもなく焦りを覚えてしまう。
f0068075_20162111.jpg

 次の写真は川西市にある神社の柵に掲示されているプレートである。 神聖であるべき神社の空間に厳禁しなければ(あるいはしていても)何故か不浄物(ゴミ)が投げ入れられることがあるということを神社側が嘆いているのである。 (神社側が嘆くように、このプレートには何かがぶつけられてできた凹みが少なからずある!)
 この神社にはきっと正月やお祭りにはお参りに来てお願い事をする人が、総てではないにしても普段は塀越しにゴミ等を投げ入れることがあるということに対し、じっと見ていると表現しようのない違和感がここでもじわじわと迫ってくることにやはりどうしようもなく焦りを覚えてしまう。

 このようなことは今までは人文系の心理学の領域であったのだが、経済学や社会科学の領域でこれを扱うとどうなるのだろうか、とこのごろ密かに考えを巡らしつつ、いろいろと楽しい時間を過ごしている。 このブログの表題ではないが、歩き回っていると犬ならずとも面白いことにいろいろと遭遇する。 

【PS】 なかなか梅雨が明けない。 電車から見ていると夏になると夕方には奈良県側に入道雲が林立するのだが、今日はあんなに暑かったにもかかわらず、山の向こうには起ち上がる雲が一つもないのである。 もう少し、夏はお預けなのであろう。 心なしか、帰り道でアブラゼミが心細げに鳴いていた。
[PR]

by usasho | 2006-07-27 20:01 | 歩き回って
2006年 06月 26日

登りたくなる木

f0068075_2322044.jpg

 東京へ研究会に出かけた。 朝早く着いてしまったため時計台の前のベンチに座って本を読んだり、ノートPCに打ったりしていたが、フト目の前を見ると実に枝振りの良いクスノキが立っているではないか。 いままでに、このような素晴らしい枝振りの木は見たことがない。 見ているうちに登りたくてウズウズしてくる。 小学生だったら間違いなく登ったであろうが、この年になってはそうもいかず、見ていると何ともいえず悲しくなってしまった。
f0068075_22421014.jpg
 見ているだけでその気にさせるなんて、この木は実にすてきな木だ。 このゆったりとした木が二本左右にあって時計台の広場を囲んでいる。
 木々に鳥が集まり、人も集う。 楽しい語らいと思索の時が流れ、見上げるとそこに優しい木が静かに立っている。 これこそこれらの木に備わる徳とすべきものなのであろう。

【PS1】 木を眺めながら朝の御握りを食べていると雀が何羽も寄ってきた。 本当にビックリする程近くまで寄って来るではないか。 ここは東京だろう? っと思うのだが恐がりもせず、寄ってきて御握りをねだるのだ。 何粒かを指の先に付けて差し出すと本当に寄ってくる。 羽根を左右に下げ気味で小刻みにばたつかせ、首を突き出してもっとくれという。 ベンチの石のもたれの上に並べてやると面白いように食べる。 エー、本当にここは東京かしらと目を疑った。
f0068075_2242411.jpg

【PS2】 ここ東大の経済学部で春は恒例の研究会をやることになっている。 何年か前、大教室でやっていると、開かれた窓の枠にカラスがやって来てジッと中を向いたまま静かに留まっていた。 まるで話を聞いているように見えるのだ。 休み時間にある先生がこのカラスを指して、さすが東大のカラスは違うゾ!研究会の話しが理解できるんだ!っと言ったら一同大笑いになった。
[PR]

by usasho | 2006-06-26 23:01 | 歩き回って
2006年 05月 28日

歴史的遺産と町造り

f0068075_1838275.jpg

 備前は池田家31万5200石の大身があるため小藩は目立たない。 しかし、現在の岡山市からJRで二駅西へ走ると、そこには庭瀬藩2万石(板倉家の代で明治を迎えた)の家並みを今でも目の当たりにすることができる。 写真はその庭瀬藩の陣屋跡だ。 文字通りの小さな藩ではあったが、街を歩いてみると、さぞや昔は美しい家並みが軒を連ね、縦横に結ばれた水路には水面に心奪われる影が揺れて、水鳥がそこかしこで餌をついばみ、菱の実がたわわに実り、子供達の声が辺りにこだましたことであろう。
(蛇足だが、この陣屋跡から西に200メートル程の処にもう一つの陣屋―幕府領で石高は五千石だが、さすがこちらの方がでかく、親藩とはいえ2万石の方がこぢんまりしている―があるという全国的に見て実に珍しい景観をここ庭瀬は持っている。 更に蛇足を重ねると、元々の庭瀬城本丸が西の撫川陣屋となり、残りの東側が東の庭瀬藩の陣屋になったためにこのような面白い現象が起きたのだ。)
f0068075_18381319.jpg
 しかし、現在はどうであろうか。 ご多分に漏れずここにも大都市が雪崩れ込んできて(皮肉なことに隣の岡山市の隣接住宅街としての位置付けで)目の前に拡がる過去に繋がりをもたない人々が多く住まうようになった。 駅前で何人かに陣屋のことを聞いてみたのだが、正確に答えられる人はいなかった! 本当に残念なことであるが、この誇らしくも美しい歴史的景観をもつ陣屋跡の街は、今の多くの住人の関心を呼んではいないように見うけられた。
f0068075_18382319.jpg
 口惜しくも残念なことだ。 岡山市と比べて、決して遜色どころか、いやそれ以上の環境を持ちながら、住民の関心が上がらず、町は特色を日々失いながら、せっかくの歴史的世界を過去の世界に葬り去ろうとしている。 町造りをはじめとして、人々の意識の中に歴史的世界を活かした生活の場を創る工夫を巡らせば単なる地方都市などというけちくさい範疇ではなく、素晴らしい未来に誇ることのできる“住まいの場”を生み出せるのにと思った。 恐らく小生が知らないだけであるいは多くの心ある人々がそう思って日夜知恵を絞っておられるのかも知れないが、行政を含め、誇れる街並みと特色ある地域社会を未来に残すためにも、今こそ積極果敢な運動の展開をなんとしても期待したいものである。f0068075_19245915.jpg
 歩き回ると水路には田舟が浮かんでいるのがあちこちに見られる。 これももう少しすると過去の世界へと消えてゆくのであろうか? 一見便利そうではあるが特色のないどこにでも在るような街を造ってゆくよりも、いつも心の中に息づいて消えることのない、みんなの心の財産となるような愛着のある街を育てる工夫こそが日本では今最も問われなくてはならないものだと思う。 このような人々のたゆまぬ営みの中からだけ、我々の未来の新しい文化が育まれてゆくものだと考えている。

【PS】 母は実家からこの庭瀬の駅まで毎日歩いて通い、汽車に乗って岡山の女学校へ通ったのだそうだ。 この駅からは先ほどの板倉家のお嬢様も加わり一緒に毎日通ったそうです。 冬は星降る中を手を凍えさせながら通い、いまだ家がまばであったためか、線路脇を走りながら汽車の釜焚きに「待って下さい!」といえば「はよこいよー」とそれなりに待ってくれたのだそうです。
 叔母の四十九日への参列に朝早く大坂を出た甲斐があったのか、思ったよりも早く到着できたため、庭瀬の駅から母の実家まで試しに歩いてみることにした。 周りをキョロキョロと物色し、それなりに時間はかかったものの、亡き母に導かれてつつ途中数々の収穫を集めたが、しかし間違いなく時間までにはキチンと到着することができました。
[PR]

by usasho | 2006-05-28 18:37 | 歩き回って
2006年 05月 14日

一日の終わりに

f0068075_1214077.jpg

 人は一日の終わりに何を思うのだろうか、と考えたことがある。 大阪市内に住んでいる時や学生の時、さらには社会人になってからもあまりこのようなことを考えたことがない。
 この八尾に引っ越してきて、この信貴山の麓から山に登るようになって以来、このようなことがふと頭をかすめることに気が付いた。 年の性と言うこともあるのだが!

 住所としてはうまく説明が出来ないのですが、好みの道をジグザグと十三峠付近へ登る少し人家が途切れるあたりにこの観世音菩薩はお立ちになっておられる。
 わたしはここから眺める夕日を殊の外気に入っている。 別に特別に目を見張るような秀麗な眺めではないのだが、稲を焼く煙や里の犬の声々、学校からの帰宅を促すチャイムの音等々の匂いと音が案配よく混ざり合ってなぜか心落ち着くものがあるのです。
 ただそこに立ち止まって、ほんの数分間のドラマを楽しみ、夜のとばりが降り始めた坂道を余韻を噛みしめながら家路を辿って、暗くなった道の奥に我が家の灯りを認めると、ホッとして少しだけ足早になり、玄関の扉をおもむろに開けるのです。

【PS】 あるとき、この場所で夕日を楽しんでいたら、孫を連れて散歩中のこの辺りに住む老人と話しをする機会を得た。 かれに、毎日ここから美しい夕日が眺められて良いですね、っと言うと、彼は我に返ったようにハッとなり、ここに七十何年も住んでいたが、ここからの夕日を見た記憶がない、言われてみれば本当に美しいものですな、と立ち止まり、一緒に六甲の山へ落ちてゆく真っ赤な太陽を楽しんだ。 その日は、殊の外夕日が美しく、三人はただただ言葉なく眺めていたが、お互いに篤く礼を言い合って左右に分かれた。
[PR]

by usasho | 2006-05-14 23:20 | 歩き回って
2006年 03月 27日

桜咲く

f0068075_2235113.jpg

 やっと桜が咲きました。 玉串川ほとりの桜の根本から春はついに芽を吹いたのです。 幾本かの桜の根元から芽を吹き始めた中で、この一株のみが花を一昨日から開けたのです。 もう、二三日で一年間待ち続けた花の世界が降臨します。

【PS】 有名な「サクラチル」って電報もらった方は桜の季節が巡ってくると憂鬱になるでしょうね。 「サイキヲコウ」ってので肩を落とされた方もあったでしょう。 目出度く桜が咲いた方も、捲土重来を期せた方も、その春はキット忘れ得ぬものがありましたでしょう。
 でも、いまでもその感激を大切にしておいでですか。 春は、さまざまな喜びや、悔しさを思い起こすために再び花を咲かせてくれるのです。 そう、胸の奥深く刻んだ、あの震えるような思いをもう一度引っ張り出してみませんか?
[PR]

by usasho | 2006-03-27 22:34 | 歩き回って