『犬も歩けば棒に当たる』 ~辺りを見回してみよう!面白いことがいっぱいあるぞ!~

toubouroku.exblog.jp
ブログトップ
2007年 04月 29日

歴史的事実に対する後世の安直な改造は認められるべきか?

f0068075_23163595.jpg

 先週岡山へ出向いた折、岡山城へ足を運び復興天守閣を初めて見た。 復興天守を見たのはこれが初めてであったが、見ていて妙に引っかかるものを抱いたまま帰宅した。
 この引っかかりを少し引っ張り出していろいろと調べてみると、次のようなことが分かった。
 本来、この天守の入り口はこの写真のように石垣の中にはなく、左横に復元されている塩倉からしか入ることが出来なかったのを、鉄筋コンクリートにて天守を復興するときに、見学者が登閣する時の便を考慮して石垣を取り除き(正しくは破壊して)ここに入り口を新たに創ったのだそうだ。 実にもっともらしく!
 下の写真は岡山市のHPからのものを部分引用したものであるが、ここでははっきりと石垣に入り口がないのである。
f0068075_23171084.jpg

 このような安直な復元が現在日本国中で大手を振って横行しているのは何故なのだろうか。 外見だけの、見てくれだけが出来ていれば、本質の部分は多少の作為的な変更は許されるはずだと! ここには、運営的な経営的な側面のみが優先して、本質の部分が不問に付されているのはいかにも良心のかけらすら感じることの出来ない軽薄な営利行為ではあるまいか。 市民、県民の姿が全く見えないのである。 ここにあるのは、 日本の文化、日本の歴史的本質には目をつむった目を背けたくなるような浅ましき行為ではないのか、と糾弾せざるをえない。 岡山市や岡山県の文化行政とはこの程度のものであったのか? 不幸にして巻き込まれなかった市民にとって、この天守は決して誇りにはならないどころか、実に恥ずかしさの象徴でしかないのでは。
 
 今日、NHKでポーランドのワルシャワの戦後復興を取り上げた特集番組があった。 いかに民族とその歴史を後世に伝えなければならないのか、を彼等は自問自答しながら実に長い年月をかけ石を一つ一つ積み上げて元の旧市街を再現させたのである。 その都度、多くの人の善意と熱意が目を見張るような光景を再びとりもどさせたのである。
 木の文化を誇る日本の復興には石の文化とは違う極めて難しい問題が実に高く横たわるのであるが、伊賀上野城の天守閣は実にある先人の熱意に基づき木造が貫かれ見事に後世への遺産として現在我々は接することが出来ることを決して見逃してはならない。 薬師寺の伽藍は寺僧の気が遠くなるような熱意が人々を動かした結果であることを振り返ってみよう。 東大寺の重源上人像のお顔に刻まれている皺の意味は実に重いことに気が付く。

【PS】 むかし、日本ポーランド協会からの要請で、ワルシャワ大学の留学生を京都に案内したことがある。 彼女は胸を張ってワルシャワの復興を語った。 いかに過去を未来へと繋ぐかという壮大な取り組みが実に眩しかったし、羨ましかった。 そして、ポーランドはその誇りを見事に取り戻したのである。 実に数知れない、名も無き市民の無数の手によって! そこで造り上げられたのは物ではなかった、一人一人の胸に築かれた目には見ることの出来ない誇りであったのだ!
[PR]

by usasho | 2007-04-29 00:05 | 歴史の証人


<< もしも猫に字が読めたなら…      岡山禁酒会館 >>