『犬も歩けば棒に当たる』 ~辺りを見回してみよう!面白いことがいっぱいあるぞ!~

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2014年 04月 04日

巡り来る春

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 やっと春が巡ってきました。 玉串河畔にも満開の桜が咲き誇っています。
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# by usasho | 2014-04-04 22:28 | 日記
2014年 01月 02日

サイトの再出発にあたって

 このサイトへの書き込みが相当長く滞ってしまいました。

 この年末年始を利用して、小生のサイトの見直しと整理を行っていますが、一時、此のサイトも閉鎖するべきではないかとの検討を致しましたが、旧い記事を眺めていると結構懐かしい日々の記録が残っており、結局、表題を少し変更し、さらに記事の幾らかを削除の上で、映像を中心としたサイトとしてしばらく使い続けることに致しました。
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# by usasho | 2014-01-02 14:58 | 御挨拶
2009年 12月 06日

ある冬の日に

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 とうとう冬がやってきた。 玉串川沿いの木々も一枚、また一枚と一夜毎、北風毎に葉っぱを通路や河面に散り敷いてゆく。
 しかし、この木だけが何故か、頑なに赤く染まった葉っぱを付けたままになっている。 最後の一枚でなく、最後の一本だけと言うところが良い!
 だが、この一本も何時かはその葉っぱを手放す時がやってくる。 毎朝、この紅葉をチラッと見て、駅に急ぐ。 この木から赤くなった小さな葉っぱが風に舞う時はきっと雪でも降ってくるのであろうか。
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# by usasho | 2009-12-06 23:42 | 身の回りの世界から
2009年 11月 08日

巡る季節

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 何気ない、見慣れた光景にふと立ち止まるとき、巡る季節の風情に驚かずにはいられない。
 本当に、つい先程見たような気がした桜花の下のさんざめきが、もう葉に色を付けて一枚、一枚と舞い落ちようとしているのだ。 そう言えば朝日が昇るのも遅くなったし、夕暮れが辺りを覆うのも早くなった。
 北の方からは降雪の便りも聞いた。 珍しくなったとはいえ、一度くらいはこの辺りにも雪が舞うのであろう。 寒い川の中を小鷺が食べ物を探して足で泥の中をしきりに探るように歩くのももうすぐだ。
 
 近頃はこんな何でもない光景を、あるがままに素直に眺めることが出来るようになった。
 年のせいなのであろうか。

 今年の春から取り組んできた仕事があり、しばらくの間、ネットをお休みしていた。 ところが、いざ再開しようとすると、大切な暗号を忘れてしまい、入力サイトを開くことが出来なくなったのです。 奮起して、家捜しの末、やっとの事でヒントを見付け、必死の探索の末やっと暗号を取り戻しました。
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# by usasho | 2009-11-08 22:30 | 身の回りの世界から
2009年 05月 06日

巡り来る花の下で

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 蕾をつけた木々が早朝の風に揺れている。 ただ、彼等をじっと眺めているだけで、みょうにこの胸騒ぎがするのは一体何故なのだろうか。
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 風も無く穏やかな早朝、斜め投げ掛ける光の中で、一斉に開き始めた花達が静かに休らう。 この静謐な朝の一時を楽しむべし。
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 彼等をただ眺めているだけで、もうこれ以上の言葉を継ぐ必要が無くなる。 花はただただ語らずに眺めるべし。 爛漫たる花々の声をただただ聞くべし!
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 一時の宴が済むと、辺りは装いを一変させる。初々しい若葉が朝の光を気怠そうに受けてそよぐ。
毎年めぐるこの花達との対話を今年も交わすことが出来た喜びは、またひとしおで目をつむりゆっくりとかみ締めて味わってみる。 しみじみとした時の流れが私の周りをひとしきり巡って、辺りを飛ぶように駆け巡る。

 しばらく休筆しておりました。 体調も一段落。 おまけに本業が忙しく、ついつい後回しにしていたら、もう一年も経ってしまったのですね。
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# by usasho | 2009-05-06 23:48 | 身の回りの世界から
2008年 04月 12日

山笑い、川歌う春

 バタバタしている内にあっという間にもう(?)4月だって!
 別にボーとしていた訳じゃないんですよ! でもね、正月以来、写真以外の更新ができなかったので、改めてここに書き込んでいると、無性に気恥ずかしさがムクムクと膨らんでくるんです。
 先般アメリカの渡辺千賀さんが4月7日のサイトで“lower-stress bloggers”という話をされてましたよね! 私なぞはさぞかし脳天気な“lowest-stress bloggers”の最たるものでしょう! (*^_^*)! 本当に贅沢の極みです!(オイ、オイ!変な自慢をせずに、正直に“私の我儘で”と書けョ!←天の声)
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 それにしても、今年位、春がビシッと決まった年はなかったよね! 私のようなものぐさでもいそいそと夜櫻を見に出かけ、山里へと春を見付けに飛んで行ったんだから!
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 本当に普段見慣れた景色も、そこにただ花を添えるだけで、この世ならざる世界へと昇華してゆく。
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 山の上からも花が窓となって別の下界が向こうに見えてくる。
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 げに、山は花霞を得て笑い出し、
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 川は花を得て歌い始め、見渡す限り神が懸かり、神名備た世界がひととき降臨するが、花片が納めの舞を奉納し始めると、少しずつこの世が戻ってくる。
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 額の汗を拭いながら山道を登り、ふと足を止めて振り返った時、目の当たりに咲き誇る櫻主が刹那をおかず我が魂と融け合うのを覚えた! そして、今日のこの日に、生きてこの花と出会えたことへの言い知れぬ喜びと、そよ風の中をたゆたう花弁への言葉には成らない切なさとが、潮のごとくぶつかっては押し寄せ、引いてはまた押し寄せて、柔らかな春の日差しのもと、佇み尽くす私をただただ溺れさすのだ!
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『尋常小学読本唱歌』
春が来た (作詞 高野辰之 作曲 岡野貞一)
   一
     春が来た 春が来た どこに来た
     山に来た 里に来た 野にも来た
   二
     花が咲く 花が咲く どこに咲く
     山に咲く 里に咲く 野にも咲く  
   三
     鳥が鳴く 鳥が鳴く どこで鳴く
     山で鳴く 里で鳴く 野でも鳴く
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# by usasho | 2008-04-12 23:23 | 身の回りの世界から
2008年 01月 01日

新年を迎えて

 新年明けましておめでとうございます。
   本年も宜しくお願い申し上げます。

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 新玉の年を迎え、家族集いて杯をあげ、雑煮を食す。
  昼過ぎ、昨日買い求めし菊屋の葩餅(はなびら餅、或いは花弁餅)を頂き、内が点てし茶を、家族で心静かに代わる代わる味わった。

 菊屋の葩餅(私はこの漢字が花弁餅と書くよりも好きだ)を正月に味わうのは本当に久しぶりである。
 今は亡き両親がことのほか愛で、また、私もそこかしこの名だたる菓子舗が丹誠込めた様々な葩餅を頂いてはみたが、この菊屋の葩餅を抜くものには未だにお目にかかったことがない。
 関西の和菓子職人にとって、この葩餅は特別な位置を持つ。 式三番の翁のごとく、文字通り新玉の年の初めに口に入れて身を引き締め、味わいつつこの一年を共に言祝ぐに相応しいものである。

 晴れ着をまとい、己に向き合って気持ちを引き締める。
 心静かに葩餅に黒文字を入れ、愛用の茶碗にて茶を点てて味わい、心ばかりの正月というものを祝った。

 事情があり、一日早いのであるが、これが拙宅の本年の出陣式であった。
【PS】
 昨年後半は、年末をのぞいて体調はまあまあであった(年末に背中の腱がブチッという音と共に切れ、そのあげく腰痛をも併発し、這うような毎日をいまだに送っている)が、時間と機会がある限り図書館と研究会へせっせと顔を出したため、ブログから頭が遠のいてしまった。 不悪。
 今年は面白いことが出来るといいな、と思いながら新年を迎えたのであるが、なにやらそこはかと頭痛がし、微熱を感じるのは、どこぞで無粋なウイルスに惚れられてしまったからであろうか?
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# by usasho | 2008-01-01 16:17 | 随想
2007年 11月 10日

久し振りに山に登る

 異常な季節のせいもあったのであろう、この頃多少無理をしたために体調を崩してしまった。
 そのため、今日と明日の東京でのシンポジュームに出かける予定は泣く泣く取り止めになってしまった。 そのせいなのであろう、朝からどうも気持ちが落ち着かず、おまけに家族がみな出かけてしまったために止める者がいなかったので、もう夕方が近づいているのにもかかわらず、山用に服装を改め、まるで何かに導かれるように私は山へと向かった。
 少し曇りがちなせいもあって、山にとりつくころにはもう辺りは既に薄暗く、今から登る人なぞまあ有るまいと思われたし、時間を考えれば登山の常識からは大きく逸脱していることも重々承知はしていたので、多少のためらいが無くもなかったが、まるで取り憑かれたように足は薄暗い山道をただひたすら登り始めていた。

 まだ木の葉が十分に散っていなかったので、葉が茂っているところでは既にもうそこここに夜が佇みはじめていた。 それでも、まだ足は引き返すことを忘れたまま上へ上へと登り続ける。 
 しかし、やはり体調が良くなかったからであろう。 息が次第に荒くなり、汗が激しく流れ、まるでこれが人生最後の山登りであるかの如く体が波打ちだした。 いまだ、この様な経験をしたことのないような苦しさに襲われつつも、やっとのことで、“いつも曲がり角”までやって来ると、崖に奇麗な野菊が寄り添うように咲いてこちらを向いているのが目に留まった。 しばらくそこに佇んで息を整えながら、薄暗闇にポッと浮かぶ白や、黄色のその可憐な花を眺めていると、妙に気持ちが安らいで、何故か急にここから帰ろうという気になった。

 下りは森の中が本当に暗く歩き辛くなっていた。 川が流れているところでは道の両側は既に真っ暗で全く何も識別できないようになっていたが、見上げれば空は辛うじて木の間隠れにうっすらと今日最後の明かりが残っていた。 それでも懐中電灯など点けなくても慣れた道でもあったし、別段怖いとも思わなかったので、川のせせらぎの音を聞きながら真っ暗な中を時々足を滑らせながらも転ぶことなく、ただ黙々と麓を目指して下った。
 そう言えば昔、信州の山奥の学生村で星明かりの下、真っ暗な夜道を棒切れで崖を突きながら歩いたことがあった。 道の2メートル程右には深い崖があり、何年か前この村の校長が落ちて亡くなったことを村の人から聞いてはいたが、さほど気にもせず棒切れでコツンコツンと左の崖を叩きながら満天の星空を愛でつつ小一時間程かかって自分の下宿先まで帰ったのだった。 この時以来、真っ暗な夜道も特別に気にならなくなっていたのだ。

 やっと里に着くと、視界が開けたからであろう、やはりまだ空には明るさが残っていたが、たっぷりと雲が空を覆っていたので夕焼けは無く、夜の帳が将に辺りを包もうとしていた。
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 村はずれを歩いていると、刈り取った藁を焚いているのであろう、白い煙が山里に棚引いている。 何故か時を忘れてしまいそうになるような原日本的な光景に寒さの増してきた風に吹かれながらも思わず立ちつくして見とれてしまった。
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 辻の地蔵堂に着いた。 こんなに暗くなってからこの前を通ったことがなかったので、不思議な光景に見とれてしまい、思わず1枚だけ写真を撮った。
  【PS】この写真にはちょっとした追加の話がある。
 この後、一足毎に夜が立ち籠めて、あっと言う間に辺りは夜に飲み込まれてしまった。

【PS】 なぜか里に近くなって暗い森の中を何処かで一羽のウグイスが鳴いているのに気がついた。 秋も深まってきたというのにウグイスとはどういうことだ。 しかも、こんなに暗くなっているのでなおさら不思議に思った。 家を出た時、近くの木の頂で百舌鳥がけたたましく鳴いていたのを聞き、秋だなあと思ったから尚のことそのように考えたのかも知れない。
 何枚か山で写真を撮ったが、どれもこれも暗く、これらに編集を加えるとあまりにも不自然な色になってしまうので山での写真は今回公表できるものはなかった。 それにしても、崖に咲く野菊は薄明かりの中ではあったが本当に可憐で美しかった。 いや、薄明かりであったからこそ、その美しさが際だち、それに打たれたのかも知れない。
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# by usasho | 2007-11-10 23:09 | 日記
2007年 09月 19日

ワクワクするような時を追いかけて

 出かける前に好奇心さえポケットに入れ忘れなかったならば、ワクワクするような面白い出来事にいっぱい出会うことができる。
 好奇心に手を引っ張られ、背筋をピーンと伸ばして街や野山を歩こう。 いろんなものが周辺からいっぱい声を掛けてくる。 今まで見たことのないものから、見ていても気が付かなかったことまで、見渡せば面白いものや、何だろうと思うものがいっぱい周りから駆け寄ってくるのだ。
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 東大寺の大仏殿に女の子達がやって来た。 思い思いの服装をしてあっちを見たり、こっちに集まったりとキョロキョロうろうろしながら、本当に楽しくてたまらないようだ。 そんな楽しそうな彼女たちのさんざめきがフッと止まった瞬間、彼女たちは門に並んで一斉に写真を撮りだした。 みんなでピーンと背筋を伸ばし、デジカメを構えた彼女たちの後姿にはそれを見ている者まで浮き浮きさせてくれる何ものかがある。 きっと、今朝から面白いものがいっぱい見つかったのだろう、みんなの目がクリクリと輝き、言葉までが辺りを走り回っている。 この楽しい青春の一齣に幸よ多かれ!
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 今日はとってもよい天気で、少し動くと汗が噴き出してくる。 この門に立っているとまるで極楽から風が通って来ているようで本当に涼しく、少し長居して心地よい極楽の風を楽しんだ。
 この大仏殿の門前を守護する阿吽の像のうち吽形像は足下に天女を踏みつける兜跋毘沙門天である。 多くの仁王像はその足下に邪鬼の像を踏み敷くが、この像だけは清浄無垢な天女様を踏みつけているために、多くの人々はその意外性と、天女様への同情心が合体してこの毘沙門様の前にしゃがみこみ、その足下を覗き込むことになる。 さっきの子等がここでもしゃがみ込んで柵の中を覗き込み、毘沙門様のことはそっちのけで、もっぱら足下の気の毒な天女様だけが彼女達の話題をすっかり独り占めしてしまった。 後ろから拝見していると、「こりゃ!何をゴジャゴジャ言うておるのじゃ、主役はこのワシじゃゾ!ワシ!私の方を見んか!」とばかり眦をつり上げて下を睨み付ける毘沙門様が妙にいたわしく、かついじらしくも見えてくる。
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 帰りに南大門を通ると修学旅行の生徒がワアワアと門の真下に集まってきた。 案内のガイドが声を嗄らしてハンドマイクから身振り手振りで得意の歴史解説を一席ぶっているが、生徒の方はといえば、お構いなしにキョロキョロと近くを飛び回り、それぞれが既にもう面白いものを探し出していた。 何十年か前にこんなこともあったっけ、と思うと無性に懐かしく、一時を彼らとご一緒させていただいた。 Vサインを出す反った指がこの子達の今日の楽しさを十分に伝えてくれる。 楽しい思い出をいっぱい創ってお帰り!とつぶやきながら、ちょっと迷惑そうな顔をして振り返る鹿達の頭を撫で撫で興福寺の方へと向かった。
 歩いていると、野を渡る風に乗って、鹿達のいつものニオイがプンとした。

【PS】 奈良に行くと一度は鹿煎餅をやってみたくなる。 煎餅売りのおばさん(昔から煎餅売りはおばさんが多い)から煎餅を受け取ると、それまで知らん振りをしていた鹿が途端に津波のように押し寄せてくる。 頭突きはする、舐め回す、足で脅す、体当たりするなど、あらゆる手段を尽くして彼等は煎餅を強奪しにやってくるのだ。
 ある人が言うには、鹿はきっと所有権というものを理解しているというのだ。 おばさんの煎餅入れに煎餅が入っている間は絶対に手出しが出来ないが、観光客がお金を払って煎餅を受け取るとおばさんから煎餅の所有権が移動して鹿が取っても良いものに変わるということを彼等はきっと理解しているにちがいない、というのだ。 だから、客が煎餅を買うまでは知らん振りをしていても、金を払った瞬間に、否、財布を持ち上げた瞬間に彼等は一斉に反応するのだそうだ。
 鹿は一体どこで経済学や法学を習ったのか知らないが、正鵠を得てはいないものの、その解釈の面白さに聞いていて思わず笑ってしまった。
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# by usasho | 2007-09-19 23:50 | 大切なもの
2007年 09月 15日

木々の踊り

 十三峠へ登る道には何カ所か木々が生い茂って昼なお暗い処がある。 それでも夏にはまだ7時前であれば何とか歩いて歩けないことは無いのだけれど、さすが9月も半ばを過ぎる頃には急に日が短くなり、5時でも多少足許が覚束ないことがある。 ましてや、現在、台風が東シナ海を北上中のため、今朝から雲が走って頃合いがつかめず、ぐずぐずと決めかねていたために今日は登り始めるのが遅かったから、暗くなりかけて慌てて山を下りだした。
 案の定、不思議な沼池がある辺りまで下りて来ると、既に夜の帳がそこここにたむろし始めており、急な坂に気を配りながら下り始めると、急に雲が割れたのであろうか、夕べの太陽が最後の一条の光を木々の間からこちらへと投げて寄こした。
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 余りにも密生したためであろう、幾分かの木々が地元の人々によって透かれていたため、光の通りが良くなったのだ。 太陽が西へと急ぐために、夕べのまったりとした光に照らされて木々がまるでスローなインド舞踊を見るようにゆったりと踊っているように見える。 何という怪しくも艶めいた姿ではないか。 夏の盛りにはあんなに鳴いて止まなかった沼の牛蛙がどういう訳か今日は全く水音一つあげない。 静まりかえり、夕べの闇が辺りに居並ぶ中で、輝く木々の怪しい踊りだけが目の前に浮かんでいる不思議な光景に私の目は釘付けになり鳥肌だった。

【PS】 暗くなった池の端に一匹の猫がポツンと佇んで、池を所在なさげにただジッと見ている。
 呼んでみたが、チラッとこちらに一瞥をくれただけで、相変わらず端正にチョコンと座ったまま、ただぼんやりと池に目を遣っている。 魚でも捕まえるにしては、全くそのようなそぶりも見せないし、また、それにしてはもう既に暗くなりすぎているように思う。 かといって、この猫がなにかを思い詰めて自殺しそうにも、また思えない。 しかし、先程、こちらを向いた時にチラリと見せたもの悲しい瞳から、人である私には推し量ることが出来ないような哀しい出来事があったのであろうか、などとも考えた。
 ものも言わず、ただ押し黙って池を眺め続ける小さな姿が妙に愛おしく気に掛かるが、もういくら呼んでもこちらを振り向いてはくれなかった。
 少しずつ辺りから色が失せ始め、池畔に佇む小さな猫のまあるい背中もだんだんと闇の中へと溶けてゆく。 後ろ髪が引かれたのだけれど、にじり寄ってくる闇達に追い立てられるようにして、トボトボと一人、私は山道を下っていった。
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# by usasho | 2007-09-15 23:50 | 自然
2007年 09月 07日

もう一人の住人

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 帰宅して、身支度を改め部屋のハンガーを取ろうとすると壁からなにやらゴソゴソと這い出てきた。 よく見ればいつものヤモリ君(?君かどうかは実は定かではなく、便宜上そう言っておく)だ。 また這入ってきたんだね! っと言って彼を表につまみ出した。 彼は別に何も悪いことはしないのだけれど、家族が誤って踏みつぶしては可哀想だからだ。 何故かこのヤモリ君は追い出しても追い出しても我が家に入り込んでくる。 ひょっとして我が家は掃除でも悪くて虫等が多いのだろうか?それとも彼が我が家を好いてくれているのだろうか?などとふと思ってしまうのだけれど、彼は何処からか分からないが僅かな隙間を通ってまたもや入り込み、知らない間に我が家の一員になっている。
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 ジッと眺めていると、愛嬌のある目をクリクリさせてジッとこちらを見ているのだけれど、なにせ、まだ子供で小さく、運動神経が大人ほどではないので下手をすると家族が慌てて踏みつぶしてしまいかねない。

 寝ようと思い、ふと窓の外を見ると、彼がガラス戸の向こうでしきりに虫を追っている。 部屋の中から彼をいろいろと撮影してみた。 足の裏の構造がそれとなく見え、よくあんなものでガラス戸の上を素早く移動できるものだと改めて感心する。 一生懸命に動き回る彼を見ていて、今、電気を消すと怒るだろうか?などとつまらぬ事を考えた。
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 それにしても見れば見るほど彼は愉快だ。 彼の尻尾の動きが、彼の微妙な気持ちを代弁しているように思え、虫を追っているその姿が実にいじらしいのだ! しかし、いつまでも彼と一緒に夜更かしをするわけにもゆかないので、ヤモリ君ごめんねと言いながらソッと電気を消して一目散に寝床へと逃げ去った。

【PS】 ちかごろあちこちの飼い猫(もちろん余計なことで、他所様の猫の話であるが)が結構太っているように思う。(正直言って、あれは猫ではない! 実に可哀想なくらい猫が猫をもてあましている!) それに比べれば、巷で見掛ける野良猫たちは概ねより一層痩せてゆき、骨皮さんになっていることが多いように見受ける。 何かがおかしいのではないか! これは絶対に猫の飼い主の方に何か問題があるのではなかるまいか!?!
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# by usasho | 2007-09-07 23:40 | 身の回りの世界から
2007年 08月 21日

大きな土団子と狛虎

 これは何だろうか?という疑問はどうやらほぼ一斉に起こるらしいゾ!

 先日法事で京都を訪れ、その後、久しぶりに京の町を散策した。 東山法然院へ立ち寄った時、大きな石の塔の陰になにやら我が目を疑うような妙なものがのぞいており、一瞬頭の中が白くなった。
 こりゃ、一体何だろうか??? 12個の夏蜜柑のような大きさのまあるい球が串刺しのようにされて古びた木の台に突き刺さっており、どうやらその下の地面へと固定されているようだ。
 熱心に探してみたものの、全く何の説明も見当たらず、辺がスッキリと掃き清められている分だけ余計にかえってより一層怪しさが増してきた。 辺りをうろうろしながら待ってはみたものの、坊さんらしき人や、お寺の関係者はおろか猫の子一匹さえも出てくる気配がなく、仕方がないので、その前に立って素直な目で見ていると、どう見ても普通の芸術作品にしか見えないのだけれど、いやいや、ここはお寺なのだから、なにやら“秘密の一ひねり”がきっと有るにちがいなかろう!?などとひねくれたことを考え続けたけれど、結局誰一人関係者を見付けることが出来なかったものだから、渋々、取り敢えず写真だけを撮って、お寺を退散することにした。
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 それから一週間後、我々の寺(大阪天王寺区寺町)では施餓鬼の法要が行われ、その帰りに一人愛染さん(同夕陽丘町)の塔を見に出かけ、そのあと、日本橋へ行くために近くの大江神社を久しぶりに通りかかると、ここにはなんと狛犬ならぬ狛虎があるゾ!との表示を見付けた。 好奇心がムクムクと湧き、寄り道してみれば、こりゃまた何だ!っと、思わず目を見張るものがご鎮座遊ばしていたのであった。
 見れば、かなり年代物の(まさしく)虎が、なにやらもの言いたげに口を開き、チラリとこちらを見ている。 形から言っても確かに“狛虎”の片一方に間違いなかろう。 さらによく見ると、どうやら違鷹羽の紋所が土台側面に半分残っていることから、武家がこれを造らせたのではないかとも思われるが、しかし、何故犬ではなく虎なのであろうか、何故右側だけで、左側が無かったのかという疑問が残った。
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 しかし、これもまた、よく分からぬままに先が急がれたので、取り敢えず写真だけは撮っておいて、日本橋へと急いだ。
 たまたまその夜更けてネットで調べ物をするほんのちょっとしたついでに(?)いろいろと寄り道をしていると、なんと、これら二つの“何だろうか?”が共に既に取り上げられていて、論評を受けているではないか!
 いつまでこれらのサイトがあるか不明であるが、ともかくはリンクを張ってみよう!
1)法然院 緑陰に数珠か団子か土供養(2007年06月22日朝日新聞ネット版:連載ピンホールの目)
2)大江神社の狛虎(大阪市)(2007年07月05日朝日新聞ネット版:連載勝手に関西世界遺産)

 朝日新聞のこの二つの記事で私の拙い疑問は見事氷解したのである。
 まず、法然院の団子の方は、「陶芸家の中野亘さんが土の供養のために制作、貫主がここに配置した」ということから、どうやら12個の球とは「南無阿弥陀仏」を二度唱えたという意味を数珠に託してこのイメージが創造されたのであろう。

 また、大江神社の狛虎は江戸期にここにあった毘沙門天のお堂があり、それを守護をするためにこの虎が犬に代わってここに鎮座することになったのだというのだった。 その後、お堂が取り壊されてしまい、狛虎だけになり、さらに不幸なことには相棒の吽形が何処かへ連れ去られ、独りぼっちになり所在なくここに座り続け、阪神タイガースが躍進するまでただひたすら耐えて待たねばならなかったのである。(待った甲斐あって、阪神の躍進と共に、相方は最近新しく復元されたけれど、お堂は復元されず、未だにただひたすら主のお帰りを待つ日々が続いているのである!) しかし、よく見ると、愛嬌たっぷりの、実にかわゆい虎ではないか!
 (注:神仏分離令が明治になって猛威をふるったことがこの虎の不幸の始まりで、肝心なことは虎が毘沙門天の使いだったことが狛虎になった所以だというのが、今回のミソであった。)

 私としては、上記の理由にいたく納得はしたものの、これは何だろうか?という疑問はどうやらほぼ一斉に起こるものらしいということが、なにやら不思議でならなかった!

 本当に、辺りを見回してみれば、いろいろと面白いことがいっぱいあるものだ!
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# by usasho | 2007-08-21 00:17 | 歩き回って
2007年 08月 09日

六道さん参り

 夏休みなって大学の図書館へ毎日通いだした。 ふとカレンダーを見れば今日9日は六道さん参りの日ではないか。 7時に大学を辞して松原通の六道珍皇寺(“ろくどうちんのうじ”と読む)へ向かう。 もう辺りは真っ暗であったけれど、迷いもせず足は私を寺まで連れて行った。 松原通にはいつものように夜店が出ているが、多少少なめなのはどうしたのであろうか?
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 門をくぐると参道の両側にもやはりお店が出ていて、善男善女の会話がにぎやかに飛び交っている。 閻魔堂の閻魔さんや小野の篁の木造が参詣者の一年間の行いを糺しながら私たちを見下ろしている横を足早に、はたして今年はどれくらいの人が並んでいるのであろうかと思いながら迎え鐘の最後尾を探すと、いるわいるわ!いつも以上の人々が東門からはみ出して狭い路地を延々北へ一丁余り並んでいるではないか! 
 まあ、それでも1時間ほどで順番が廻ってくるだろうとのんきに構えて行列の末尾に席を取った。 一歩また一歩ではあったが行列は確実に進み、その間、涼やかな風が路地を渡って本当に殊の外涼しく、「まるで極楽の扉が開いたようだ!」とよく母が言っていたのを懐かしく思い出す。
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 京都ではお盆にご先祖さんを「お精霊さん」(“おしょらいさん”と読む)と呼び慣わしており、京都人かどうかはこの言葉が会話に入っているかどうかでだいたい判断がつく。
 1時間もたたないうちに順番がやってきた。 ここの鐘は表からは見えず、お堂の中に隠れているために構造はよく分からないのであるが、ふつうの鐘と違い、手前に手綱を引くと鳴るようになっている。 したがって鐘を撞くと言いながら、実際は手前に綱を引くと鳴るのだ。 しかもそれが、結構力がいる! 赤い布が巻かれた綱を二度引いて無事鐘を鳴らすことができた。

 六道さん参りは京都では彼方此方で行われているけれど、この六道珍皇寺の鐘が夙に名を馳せているのにはそれなりの訳があるのだ。
 ここ鳥部野の辺りには昔からこの世とあの世を結ぶ道があり(六道の辻と言い習わされている)、小野の篁は昼は宮中へ出仕し、夜はあの世へと出向いて閻魔の庁にて業務を執り行ったと云われるスーパーマンで、この寺の中にある井戸を通っては日夜この世とあの世を行き来していたというのだ(子供達が横で聞いていると、きっとこう尋ねるにちがいない。「ネェそのおじちゃんは一体いつ寝るの?」って!)。 この井戸は今でもこの寺にあり、いずれはゆけるものの、一度先に這入らせていただいて、是非閻魔様に拝謁賜りたいものだと私は罰当たりにも常々想っている。
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 お堂を出ると、さんざめく夜店を左右に見遣りながら四条の方へと向かった。 途中で幽霊の飴屋(死したる母が、我が子を養うため、夜な夜なこの飴屋に飴を買いに通ったという)があり、飴を一袋買って帰る。 この飴は結構素っ気ない形をしているものの、なかなかのものでこれならば必ずや赤子も育ったであろうと想われる。

 昼間の疲れからであろうか、電車に乗ると、深い深い眠りに墜ちてしまい、あの世ならぬ大阪へと電車は私を運んでいったのである。

【PS】 くどいようではあるがこの幽霊の飴は美味しい。 癖のない、すっきりとした味わいが満艦飾の日常に慣れてしまった我々にとって、本当に不思議な味わいである。 口に入れていることさえ、つい忘れてしまうこの飴には、現代が忘れてしまいかけている味がしてならない。 げに、この飴ならば赤子も育つであろうが、もう少し小さくし、かつ、角を取ってやらないとい赤子には大きすぎるし、口の中に傷を付けてはならないから、と思うのだけど、それは年寄りの余計な詮索であろう。
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# by usasho | 2007-08-09 23:02 | 日記
2007年 08月 02日

久しぶりに山に登った!

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 毎日目の前に山を見ながらも、年の性なのであろう、長い間体調を崩し、この3ヶ月ほど指をくわえて眺める日々が続いた。 かといって、別段今良くなったわけではないのだけれど、ほんの少し体調が整ったことを言い訳に、また、内が出かけている隙をぬって、これ幸いにと、家を脱走し、山へと出かけたのである。
 なんと心弾むことであろうか! 少々天気模様が芳しくはないものの、浮き立つ気持ちを静めながら、いつもの登山道に到着した。
 少し登り始めると、飢えた眼にいろいろな物が飛び込んでくる。 オオナナフシがいるかとおもえば、思わず吹き出しそうになる人面虫が足許から私を見上げている。
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 山道は人が通うから辛うじて道として残っている状態で、もし人が歩かなくなると、途端に草に道は飲み込まれ無くなってしまうに違いない。
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 日溜まりにはニホントカゲの成体やきんきら尻尾の幼体が夏の日を浴びている。
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 あえて手入れをしていない山道はまるで小さなジャングルのような風情があり、これを眺めながら、やはり脱走してまで登ってきたことの言い訳をしきりに見つけ出したりしている自分がおかしい。
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 水飲み地蔵のお堂の入り口に奇妙な生き物と覚しき物がうごめいていた。 うずくまって観察してみると、どうやらこれは生き物らしい! ゾウムシのような昆虫が蜘蛛の巣に引っ掛かったのだけれど、何とか脱走に成功し、いっぱい蜘蛛の糸を体に巻き付けながらもお堂の入り口まで辿り着いたのだった。(帰って調べたら、どうやらアシナガオニゾウムシのメスみたいである!) 彼女は死地からの無事な生還をお地蔵様に感謝するためにやって来たのであろうか! 聞けるものならば、彼女から奇跡の生還の顛末をばじっくりとお聞きしたいものである。 
 頂上付近ではもう夕刻が迫り始めたためであろう、ヒグラシが涼しげな声を立てている。 石に腰をかけ、水で喉を潤しながら、目を閉じて風のそよぎと生き物たちの声にしばし耳を傾けた。

 久しぶりにたっぷりと山を堪能したあと、恐る恐る家に辿り着けば、風呂が沸かれ、冷えたビールがニッコリと私を待っていてくれたのであった。

【PS】 山道を登っていると三人ずれの親子に出会った。 上の写真のようにすれ違うには少々狭かったので道を譲った。 先頭の男の子が帽子を取って「ありがとうございます!」と挨拶をした。 つぎの女の子も、父親も同じように挨拶をして下っていった。
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# by usasho | 2007-08-02 22:40 | 自然
2007年 07月 11日

もしも猫に字が読めたなら…

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 出会いによって時々複雑な思いがする時がある。

 ご近所に猫好きな方が多いせいか、野良猫が辺りを闊歩している。 別に彼等が凶暴なわけでもなく、彼等によって何か不安が町中に蔓延しているわけでもない。
 ただ、彼等の生理的活動がどこの家でも眉をひそめさせているのである。 思わぬところに、思わぬ形で彼等の生活の痕跡が我々の日常を極めて不愉快なものにさせているのである。

 もとはといえば、古くから言われているように、彼等の誕生における人間のわがままさが何よりもの根源であると言ってしまうと、それまでなのだが、しかし、何処かの他人さんがしでかした無責任な不行跡が関係のない自分たちに及ぶ時、それを決して首肯することはできない。

 なぜならば彼等は、庭の一番大切にしている場所や愛車の横など全くお構いなく、実に強烈な自己存在の証をそこに留めようとしているのだからだ。 ましてや、それが、一部の人の一時の慰みによって与えられる食事によって助長されるとなれば、ただただもう腹に据えかねるのである。
 たまりかねた方が、ガレージ横のフェンスに張り紙を出した。 もっともなことだと思う。
 観ていると、わざわざ缶詰を持参してきたり、ペットフードを買ってきたりと、与えている御常連の方々はまことに優雅の極みではないか。 このような御常連の面々は己の行為の行く末をどのように考えておいでなのだろう! 本当に、そんなに彼等が不憫だと思うのならば、自分できちんと飼えばよいのに、と思う。

 かがんで張り紙を見ていると、勘違いした一匹の猫がやってきて、このおじさんは一体どんな食事を持ってきたのだろうか?と、フェンス越しに私を眺めているが、字が読めないこの猫をこちらから見ていると、なんともまた不憫でならない。 この猫の少し後ろには、彼の愛妻と生まれたばかりの家族が車の下からジッとこちらを窺っているのだった。

【SP】 一昨日からニイニイゼミが玉串川沿いに鳴き始めた。 もう夏なんだなあ、と立ち止まって昔なじみの初々しい声に思わず聞き入ってしまった。
 ニイニイゼミの声を聞いていてふと思い出したのだけれど、蝉の幼虫が地上へ上がってくる時、どういう訳かニイニイゼミの幼虫だけが泥だらけになって上がってくるのは一体何故なのだろうか?という小学生以来の疑問を思い出してしまった。 本当に不思議ですよね!
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# by usasho | 2007-07-11 20:56 | 身の回りの世界から
2007年 04月 29日

歴史的事実に対する後世の安直な改造は認められるべきか?

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 先週岡山へ出向いた折、岡山城へ足を運び復興天守閣を初めて見た。 復興天守を見たのはこれが初めてであったが、見ていて妙に引っかかるものを抱いたまま帰宅した。
 この引っかかりを少し引っ張り出していろいろと調べてみると、次のようなことが分かった。
 本来、この天守の入り口はこの写真のように石垣の中にはなく、左横に復元されている塩倉からしか入ることが出来なかったのを、鉄筋コンクリートにて天守を復興するときに、見学者が登閣する時の便を考慮して石垣を取り除き(正しくは破壊して)ここに入り口を新たに創ったのだそうだ。 実にもっともらしく!
 下の写真は岡山市のHPからのものを部分引用したものであるが、ここでははっきりと石垣に入り口がないのである。
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 このような安直な復元が現在日本国中で大手を振って横行しているのは何故なのだろうか。 外見だけの、見てくれだけが出来ていれば、本質の部分は多少の作為的な変更は許されるはずだと! ここには、運営的な経営的な側面のみが優先して、本質の部分が不問に付されているのはいかにも良心のかけらすら感じることの出来ない軽薄な営利行為ではあるまいか。 市民、県民の姿が全く見えないのである。 ここにあるのは、 日本の文化、日本の歴史的本質には目をつむった目を背けたくなるような浅ましき行為ではないのか、と糾弾せざるをえない。 岡山市や岡山県の文化行政とはこの程度のものであったのか? 不幸にして巻き込まれなかった市民にとって、この天守は決して誇りにはならないどころか、実に恥ずかしさの象徴でしかないのでは。
 
 今日、NHKでポーランドのワルシャワの戦後復興を取り上げた特集番組があった。 いかに民族とその歴史を後世に伝えなければならないのか、を彼等は自問自答しながら実に長い年月をかけ石を一つ一つ積み上げて元の旧市街を再現させたのである。 その都度、多くの人の善意と熱意が目を見張るような光景を再びとりもどさせたのである。
 木の文化を誇る日本の復興には石の文化とは違う極めて難しい問題が実に高く横たわるのであるが、伊賀上野城の天守閣は実にある先人の熱意に基づき木造が貫かれ見事に後世への遺産として現在我々は接することが出来ることを決して見逃してはならない。 薬師寺の伽藍は寺僧の気が遠くなるような熱意が人々を動かした結果であることを振り返ってみよう。 東大寺の重源上人像のお顔に刻まれている皺の意味は実に重いことに気が付く。

【PS】 むかし、日本ポーランド協会からの要請で、ワルシャワ大学の留学生を京都に案内したことがある。 彼女は胸を張ってワルシャワの復興を語った。 いかに過去を未来へと繋ぐかという壮大な取り組みが実に眩しかったし、羨ましかった。 そして、ポーランドはその誇りを見事に取り戻したのである。 実に数知れない、名も無き市民の無数の手によって! そこで造り上げられたのは物ではなかった、一人一人の胸に築かれた目には見ることの出来ない誇りであったのだ!
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# by usasho | 2007-04-29 00:05 | 歴史の証人
2007年 04月 22日

岡山禁酒会館

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 岡山市内を歩いていてこんな建物に出合った。
 この建物は禁酒運動家の成瀬才吉、河本正二、綱島長次郎により禁酒運動の拠点として大正十二年現在地に完成。 禁酒運動のシンボル的な存在 として、現在においても尚、異彩を放ち続けている「禁酒会館」という建築である。
 岡山城西の丸の西隣に面して建つこのエキゾチックな建物は、大正時代に全国で盛んになった禁酒運動の中でも傑出した位置を示す記念碑的な建造物であり、先の激しかった岡山大空襲をも免れて現在にまで生き残った。 その後幾多の星霜を経て現在に至ったわけであるが、文字通り人々の善意の積み重なった上でこれからも歴史の新しい頁を押し広げようとしている。
 禁酒運動というと既に遙か昔のことのように思っていたけれど、いろいろなサイトを閲読してこの運動に纏わるいろいろなことを知り得ました。

【PS】 紹介した「禁酒会館」はじつは岡山城西の丸の旧藩主隠居処が内山下小学校に変わり、その石垣の直ぐ西隣に新たな理想を追い求める者達が集う館として築かれたのだった。 会館が完成したときは、さぞかしモダンな建物として数奇な眼をいやが上にも集めたことであろう。 両親が、とりわけ大正のこの時代に当地にて青春をおくった母も市電がとおるこの道からこの会館を眺めてさぞかし心躍らせたのであろう。 早くから大阪へ出た父はもしかするとこの建物に対しての記憶はないかもしれない。
 私達一族がこの近くの内山下の屋敷から出て新しい時代の波頭にもてあそばれることになると同時に、新しい息吹の活動の場が入れ違いにこの地に花開かせたのだと思うと歴史とは本当に面白い。
 つい先ほどまで、本当に久しぶりにお城へ上がって(この表現が両親の口癖であった)創建以来の月見櫓(重要文化財)に登り、この手で触れてその内外を眺めていると、先祖が手を触れたことのある建物に触れ、眺めたであろう景色を見ている自分が実に不思議な存在に感じたところだったので、禁酒会館を初めて眺めたときには思わず立ち尽くしてしまったのだった。
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(岡山城本丸月見櫓)
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# by usasho | 2007-04-22 20:27 | 歴史の証人
2007年 02月 12日

山がモコモコな理由

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 冬の里山が「山眠る」と言われるのは、木の葉が落ちて精彩を失い、まるで山全体が枯れてしまったかのように深く眠りこけたように見えることからそのような表現がなされたのであろう。

 しかし、日が当たる冬の里山を遠くから眺めていると、日溜まりの縁側でモコモコした猫が寝惚けて転がっているように見える。 一体、どうしてそのように見えるのだろうかと、また、つまらぬ事を考えながら山に登った。
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 答えは直ぐに思いついた。 葉が落ちると枝の間からまだ向こうが見える、日が差してくると遠くからも枝の先の向こうまで視界があるものだから、山肌が面ではなく奥行きのある広がりとして視覚されるため、遠くから見ているとモコモコとした山肌に見えるのであろう。
 冬の里山は日が差すと葉っぱが無い分だけ驚くほど明るい。 分っていても、時々、その明るさのためにビックリして見上げてしまうこともけっして珍しくない。

 こんな里山も、春が来ると少しずつ小さな葉っぱが吹き出し、そこかしこに花が咲きはじめ、遠くから見ていると、春風にそよぐモコモコと花が一緒になって、まるで山が笑っているように見えるのだ。

【PS】 十三峠への道を登っていると、山が少しずつ少しずつ荒れてきているのに気付く! この小さな信号をどのように伝えればよいのだろうか、と時々考え込むことがある。
 何故か昆虫の量と質が随分と変わってきたように思う。 もちろん、動物の生息数は確実にだ。 植物の生え方も時にあっという間に群落が消えてしまうことがある。 さらに、人が多く登ることで土壌の流出も確実に少しずつ続いていている。
 これらは些かばかりの地域に密着限定して考えると大きな間違いを起こすのではないだろうか。 しかし、全地球的規模で考えようとすれば、あまりの規模の大きさ故にかえって無気力に陥りやすい。 
 各地の大学や学校を始めとして里山への関心が少しずつ深められつつある。 地味ではあっても、今はここから始めることがやはり確実なのではなかるまいか。
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# by usasho | 2007-02-12 19:42 | 自然
2007年 02月 11日

瞑目の証

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 人類の歴史を辿ると、古今東西を問わず、大きな歴史的転換点においては、ほぼ同じような作業が繰り返し黙々と行われていることに気付く。

 真っ向から激突する相反する意見のグループがその雌雄を決するとき、動かぬ人の骸(ムクロ)の山が出来てしまう。 そして、それらを地上から始末してしまうために大きな穴が掘られ、この奈落に突き落とされた声なき人々を労うためにちっぽけな石が勝利の証として置かれるのを常とする。
 ここ、大坂(注:明治まではこう書いた、為念)においても今から四百年前に此処に大きな穴が掘られ小さな地蔵が据えられた。 (他にも数え切れないくらいの穴が黙々と掘られ、そこかしこの寺院からかっぱらわれてきた地蔵がその上に据えられたことであろう。)

 時移り、ここにビルが聳えることとなり、改めてこの地蔵が発見され、此処に歴史の証人を呼び戻すことになったのだ。 しかし、此処に佇んでも、当時を思い起こさせるものはほんの僅かしか見出せなくなり、地獄の戦場において露と消えにし彼等の不運はこの小さな祠の中に閉じこめられてしまったのである。

 現在も世界各地で新たな穴が数知れず掘られつつある。 一方で計り知れない涙と追憶がうずたかく積み上げられようとも、地上の至る所で新たな作業の手が休まりそうな気配はない。 また、日本においても、このような穴がこれから先掘られることが無い、という保証もまた全く見当たらない。

 問う! 瞑目の証はどのような方法で後世において贖われたのであろうか?

【PS】 この写真の場所から東へ何キロか行くともう一つの、こんどは大きな石の塚がある。 今から百四十年ほど前に掘られた穴の上に立つ勝者の証である。 薩長により攻め立てられ無念の敗北を喫した幕府軍の後始末をしたことがそこには記されているのだが、勝者としての徳川軍と敗れし者としての幕府軍が音もなくひっそりと街角に佇む前を、今、多くの人々が明るく華やいだ声をこだまさせつつ歩いている。 春にはまだ少し早いけれど、柔らかな日差しが辺りに降り注ぎ、頬を優しく春風が撫でてゆく。
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# by usasho | 2007-02-11 11:42 | 歴史の証人
2007年 01月 02日

さよならYS11 ―YS11の思い出―

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 先日所用があり、久しぶりに飛行機に乗った。 羽田についてブラブラと歩いていると、とあるウインドウの中に飛行機のミニチュアがたくさん並んでいる。
 私の目はある飛行機の影を追いかけたが、それは直ぐに見つかった。
 YS11は我々の世代には実に懐かしい響きを持って思い出される飛行機である。 昨年のある時期から様々な雑誌にYSの最終飛行についての記事を本屋で目にしていた。 そして、その日がやってきて、なにがしかの記事やニュースが最後のフライトのあったことを我々に告げていたが、深く読みたいと思ったり見たいとは思わなかった。

 思えばYSにはいろいろと深い思い出がつまっている。 先生と出かけた時の思いでや、一人で調査に出かけたときのくさぐさの懐かしい事共がYSの翼で力強く廻るターボプロップエンジンの音とともに懐かしく思い出される。 そうだ、一緒に乗った親父がエンジンの音に負けまいと身振り手振りを交えて大声でどなっていた。 地方空港で帰りに乗り遅れそうになりながら、滑り込む空港の向こうにもう待ちかまえているYSを見てタクシーの中で何度も何度も手を握りしめたこと等、本当に思い出は尽きない。

 しかし、いまや、模型としてガラスケースの中にチョコンと置かれているYSを見ると、懐かしさだけではなく一抹の寂しさもやはり禁じ得ない。
 しかし、目を閉じれば今でもロールスロイス製のエンジンが主翼の上でうなりを立ててながらYSが優雅に上昇し、そしてたおやかに旋回して視界から消えてゆく様を今でも瞼の奥で読み取ることが出来る。
 現在のジャンボやエアバスではとうてい味わうことの出来ない空の旅の思い出に一人耽りながら、私は都心への切符を買い求め、足早に改札をくぐった。
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【PS】 まだ今のようにテロやハイジャックが話題にならなかった頃、初めて乗ったジャンボのコックピットを飛行中に見せてもらうことが出来ました。 今からみれば考えられないようなことでしたが、何故か優しい(美人の)スチュワーデスのお目にとまって思わぬ見学が叶いました。 コックピットに座っている機長以下3人の親切な案内で中を覗かせてもらいましたが、今と違いアナログの計器が天井までびっしりと貼り付けられており、よくまあこのようなものを見ながら間違えずに飛べるものだとただただ感心いたしました。
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# by usasho | 2007-01-02 17:01 | 邂逅